新潟、人情横丁と古町に行ってきた。

先週、闇市研究でお世話になっている井上健一郎さん*1にお誘いいただき新潟に行ってきた。井上さんにご案内いただき新潟市内を歩いてきたので、だいぶ遅くなってしまったが報告を。といっても一部。大半の時間は日本酒をいただいていたので。。。笑

人情横丁(本町中央市場)



新潟市中心市街地、本町通五番町と六番町の間に位置する戦後露店整理によってできた市場である。戦後本町五番町、六番町に並んだ露店を整理するために新潟市が本町五番町、六番町の間に流れる川を埋め立てて、その土地に営業者が建物を建てることによって始まった市場で、当初は鮮魚・海産物を中心とした市場であった。南北にはしる本町通りを中心に東西に市場伸び、本町通りに面して神社、その裏にトイレ、4つのブロックに分かれた市場の建物の間は駐輪場になっている。切妻屋根の棟の下に壁を入れ、それぞれの店舗は南北の通りに開いている。一つのコマは間口一間半奥行き一間半の四畳半で、現在は一店舗で2、3コマ使っている店舗もある。全国的な戦後の露店整理は昭和25年前後に行われており、露店営業者を整理前の営業地から可能な限り近い場所で恒常的な建物に収める場合、川を敷地にすることが最も多い。しかし、川を敷地とする場合、川の埋め立てと暗渠化では土地と建物の関係は大きく異なる。今回の人情横丁のように川を埋め立て、宅地とし、その上に建物を建てる場合は土地と建物の関係は一般的なそれと同様であるが、暗渠の上に建物を建てた場合はあくまで河川の上を利用していることになる。実際にはこの差が、それぞれの露店整理建物が現在、そして今後残る可能性の差になるように思う。


古町の隙間

古町通りを中心に江戸時代は遊郭として、明治以降は花街として栄え、現在も新潟の中心的な商店街である。南北方向の古町通りに対して町家型の土地が並ぶ街だが、歩いていて通りに並ぶ建物同士の関係に違和感を感じた。近世から町家が並んでいただろう通りの姿としては不自然に隙間が空いている。町家が更新され隣棟との間に隙間を空けていたとしても、だいたい数十センチ程度というのが僕の印象だが、古町通りでは町家同士が50センチ以上隙間を空けていることも少なくなかった。近づいてその隙間を観察してみると、ほとんどの隙間が溝渠になっており、幅が広い隙間は溝渠とともに路地にもなっている。どうやら南北方向の古町通りを中心に東西の西堀と東堀に向かって水が流れているようで、この隙間は近代以降に生まれたものではないようだ。あまりに気になったので、新潟市立図書館に行って明治期の写真を確認したところ、古町通りには雁木をもった妻入りの町家が並んでいた。それぞれの町家の屋根に降った雨は、隣棟との隙間に落ち、溝渠を流れ堀へと流れていくというのが古町の雨水処理の方法であったようだ。ここでは隙間が水と人の流れをつくっていた。



GURE

*1:吉祥寺ハモニカ横丁の研究をされていて、現在は新潟市にお住まいで建設会社に勤務する傍ら研究を続けていらっしゃいます。