2010,10,23 第1回レビュー

東京散歩倶楽部(TSC

第1回散歩コース
飯田橋駅集合→東京日仏学院→外堀→釣り堀→市ヶ谷駅→代々木GA gallery→渋谷駅→しぶちか→のんべえ横丁
  

書ける限り書きましたのでよかったら読んでください。


東京日仏学院 1951/東京都新宿区

1951年竣工され、その後1961年までに何度か増改修がなされ、現在まで使い続けられている。その後みかんぐみによる改修も行われたようだが、空間のプロポーションや都市に配された建築と敷地のスケール感は当時のままのようである。

二重螺旋状に動線を分けた階段室は、天井の採光からの光と白い空間に浮かび上がる入り口やアクセントとなる手すりの曲線は、美しいと見入ってしまった。二重の階段の一つは、当初最上階の院長の住居に通じ、もう一つは教室に通じるものだったが、当時のスケールなのか、モデュロールにならっているのかはわからないが、教室に向かうほうは、少し小さな寸法でできており、曲面で包まれた空間から明るい教室へのシークエンスがきめ細やかであった。

教室やバルコニーは、授業中であったため、あまりみることができなかったが、教室のスケール感、廊下の幅やドア、トイレの大きさ、様々な場面で、手の中にあるような空間という印象であった。また、それとは対照的に、マッシュルームコラムの連続した教室前の空間や増築された部分の階段と廊下は、広々として人のスケールから外への空間であった。
























































































そんなたわいもないことを感じつつ、ここへ訪れるきっかけである、研究室の4年生肥後伯子がバイトする学院内の小さなカフェで、肥後の笑顔に癒されつつ、フランス語をしゃべるマダムや講師を横目にお茶をする。
                   

このときには、その後巻き起こる奇跡的な事態を、僕らは知る由もなかった。。。

外堀散歩

その後、日仏学院を離れ、外堀を散歩することにした僕らは、市ヶ谷まで歩いていった。

途中こんな銀色の宇宙船みたいな車を発見!
 
よく見るとAIRSTREAMと書いてある。
AIRSTREAMとは1931年を起源とし、アルミ性の流線形をかたどったキャンピングトレーラーである。それはキャンピングカーであるために、頑丈で、居心地がいいらしい。内部を覗き込むと、調味料らしきものが見える。調べてみると、内部のレイアウトについてもひとつひとつ丁寧に手作りした家具を、使い勝手を考えたうえで設置しているらしい。車で過ごすということを考えると、なんとコンパクトな空間なんだろう…
ネット上に図面の写真があったので添付。
1965 AirStream - 詳細表示 - Vintage AirStream ド素人レストア - Yahoo!ブログ
            
            

































こいつとの別れを惜しみつつ僕らは、釣り堀でつりをすることにした。

1時間で870円である。
やはり釣りたい気持ちは皆同じであるが、なかなか釣れないもので、15分後最初にパクが1匹を釣り上げる!
グレさんとしょういちは自分も釣ると躍起になっていた。

その後、見事グレさんが1匹!しょういちは未だ釣れず。。。

グレさんとパクは、「しょういちが1匹目を釣る前に、2匹目を釣るぞ!」としょういちを挑発!笑

その挑発もむなしく30分が過ぎた頃、しょういちの竿に魚がHIT!
慎重にゆっくりと引き上げるしょういち。。。


それは死骸だった。


言うまでもなく、僕らは悶絶した。周りのお客さんの目も顧みず爆笑。
死骸はその後、しょういちがキャッチ&リリース。
死骸は浮き続け、池を周遊した。しょういちには、引き上げた責任を感じてもらいたいものである。

その後は、グレさんの隣の客の独り言やその客が釣り上げる拍子に後ろの策に釣り糸がぐるぐる巻きに絡まるなど、ここでは語れない珍事件が数多く起こる。


結果
グレさん2匹
パク2匹
しょういち1匹(死骸)


しょういちありがとう。


名残惜しみながらそこを離れ、代々木のGA galleryへ

GA ギャラリーは今、藤森照信展である。
藤森さんのスケッチ、模型、図面、ドキュメンタリー映像を見る。地元の職人と一緒に地域の素材を厳選し、建物を建ちあげる。しかし、藤森さんはただ地域の素材を厳選するだけではなく、例えばニラハウス、タンポポハウスなどは、そのままニラ、タンポポが使用されており、それは人工物と自然物との関係をナチュラルにしている。インタビュー映像の中で、藤森氏は自然に生えている木の形から建築のイメージを膨らませ、自ら木を選びに森に入るという。不整形なものを生かいかすことで、より自然にあのかわいい建築が実現されているのは、面白いと感じた。


どこかで飲みたくなった僕らは渋谷へ向かう。

しぶちか

1945年に闇市が発生し、1950年にGHQにより露店整理され、1957年11月に清水建設により地下街建設の竣工。残念ながらいい写真がなかったので写真は添付していないが、一間ほどの間口で奥行きの浅い店舗が建ち並んでいた。生々しい商業空間という印象。


のんべえ横丁











































飲みにのんべえ横町を歩く。
闇市が移転して飲屋街として、当時のスケール感が現存しているもので、渋谷駅の線路沿いにあり、入り口にはちょうちんをつけたアーケードを設けて、南北に抜ける通りをメインとしている。昔は東側に川(渋谷川、現在は駐輪場)が流れていた。
周辺を回っていると中には店の前に靴を脱いで建物内に入るという風景も…現在では、仕事帰りのサラリーマンが行きそうないい具合の飲み屋と若い人でも気軽に行けるシャレた飲み屋が混在している。
その中のシャレた店に入り、そこから見える風景はなにか変な感覚に陥った。近くにはのんべえ横丁の建物が見えるのに対して、その向こう側にはでかい建物が見える。そんなこんなでいよいよ飲みである。肩幅ほどの狭い階段を上り、二階の小さな空間でビールを飲む。最高である。一日の閉めとしては最高の結末。バイト終わりの肥後も合流して、今日一日を振り返り次回の予定を立てた。



ということで第二回は11/5(日)に江戸東京たてもの園、ハーモニカ横丁を散策予定。
ぜひ入部したい方は川崎、パクへ一言ください。


川崎、村上 共著