取り壊し直前の早稲田大学(村野藤吾設計校舎)に行ってきました。

昨日、GUREと見学しに行ったのは 早稲田大学文学部(戸山キャンパス)1962 村野藤吾
戸山キャンパス内に建つ高層棟・教室棟・講堂が村野設計である。高層棟は今月22日から解体工事開始が決定しているので慌てて見に行った。
正門から入ると遠くの方に高層棟の上部だけが見え、非常にスマートな建物なのがわかる。残念なことに正門から(高層棟・教室棟・講堂が囲む)中庭へと続くスロープはすでに取り壊されており、中庭への動線は竣工当時とは異なる。2層分のピロティを有する教室棟足下部分の外部大階段から中庭へとアプローチする。スロープからのアプローチがどれほど気持ちのいい登校であったことかと、非常に残念に思う。しかし、この中庭とそれを取り囲む3棟の建ち方・ヴォリューム感・ファサードデザインが素晴らしい。当時の村野によくみられる上階へいくほど階段状に細くなる柱、構造を表現しているのに繊細なファサード、細長い長方形平面のスマートな高層棟、それらが取り囲む中庭を含め、非常にコンパクトで引き締まった心地よい外部空間である。我々の通う生田キャンパス(1964-65 / 堀口捨己)を引き合いに出すのは可笑しいかもしれないが、漠然と外部空間が点在している生田と暗に比べてしまう。
高層棟の足下も入口ロビー以外はピロティとなっているが、視線の抜ける仮囲いがあって入ることはできない。しかし視線は抜けるので、高層棟の裏側(講堂側、39号館方面)まで中庭が連続し、ヴォリュームによって断たれることなく心地よい空間が続いていただろうことがわかる。
本日の見学には、僕の研究内容的に「高層棟の1階ロビーの床モザイク(デザイン:長谷川路可)を足で踏みしめる」という目的があったのだが、残念ながら既に解体されており、真っ白な床に変わってしまっていた。日生劇場(1963 / 村野藤吾)のエントランスロビーを見た者としては、やはりこれは本当に見たかった。というのも、ここにあったはずの床モザイクは、日生劇場ロビーの床モザイク(デザイン:矢橋六郎)を成功させる為の前段階的試みであったからだ。早稲田と日生劇場の床モザイク制作の依頼は、(日生劇場で成功させるという目的を含んだ形で)同時に長谷川路可にもちかけられたものであった。つまり、早稲田の床モザイクは実験だったのである。それが様々な理由から日生劇場は矢橋六郎が手掛けることとなったのである。二つの床モザイクを比較すると、一見似たようなものに見える。それは、もともとこの2つの床モザイクが試行(早稲田)→成功→実践(日生)という1連の仕事であり、村野のイメージはどちらもローマンモザイク風であった、ということに起因する。しかし、少し眺めればその圧倒的な違いに気づくことになる。デザインも制作もどちらも違う人が手掛けているだけにその質は全く異なる。この点に関して、あまり深く触れると僕の研究に新鮮みがなくなってしまうのでこれ以上は出し惜しみさせて頂く(笑)。
「踏みしめる」どころか拝むことさえできなかったが、それでも高層棟のピロティと、ピロティーを抜けた裏側の中庭には辻晉堂が手掛けた壁面装飾が確認できたし、入口ロビーの階段室には岩田藤七が手掛けたガラス装飾の窓が確認できた。これは大きな収穫であった。

3棟の内部には、相変わらずな階段が存在し、手摺の曲線、窓と階段の取り合い、流線的な幅木、階段の1段目の収まり、外側から窓越しに見える階段の断面、視線を操ってくる階段室の横長スリット窓、etc...どれをとっても魅了してくるからホントたいしたもんです。

解体まで間もないけど、是非一度見に行って下さい。
キャンパス内には授業でもないのに勉強している学生がいたるところにいました。驚きました。

(接続語の修正。12月28日0:05付記)


M∀SAKI