B4 卒業設計中間発表

さて、12/3に青井研内卒業設計中間発表をしました。
今年もゲストに山口陽登さん(siinari建築設計事務所 主宰)をお呼びして。
時間は短かったけれど、濃密で生産性の高い議論ができた感じがします。
以下、議事録のような覚書のような、荒いものですが。


・ゆいちゃん「ギャラリー“間”」

魅力を感じている“間”であるが、その“間”の空間を生成することは可能か。切り離された他人の振る舞いの痕跡を、身体や物のスケール感や実物のモノたちから“間”を定義。機能はギャラリー。間とギャラリーの類似性から、ギャラリーを作ることで間を作れるのではないか、という仮説。敷地は、既存ある住宅をリノベ。

山口
卒業設計の集大成のものまで、何を物量として見せればいいのかになるまでのものまで、現状だと見られない。スタディの量・やり方がもっと大事。
間って第二、第三、第四のファサードを生み出すことが面白い。
既存との間、二棟の間との間、アーティストとの間など、間をいかに多層化していくのか、が大事。
断面的な間の話、マテリアルの話、旗竿という敷地、異常さにたどり着くためのスタディの対象を発見していかなければ、いけない。

断面的なスタディは?
→一階とのつながりで2階を考えている

間とギャラリーの説明で、親和性があまりにも高すぎるのでは。間はギャラリーにそりゃなるわと感じてしまった。例えば、住むことはないのか、など問題を難しくする必要がありそう。今の状態で作っても、定着してしまう。都市的なレベルの話など、問題設定をもっと多層化することはできないのか。

最終的な模型は?
→1/20

旗竿のところはどうするのか
→魅力を感じた間ではあるので、手を加えないつもりで、それに合わせながら設計する予定 
高橋一平さんの「Casa O」:旗竿の引き込みのところに、玄関と洗面台を置くと空間化:旗竿という特性でしかできない、など跳躍力を伸ばしたいとなると、どうすればいいのか考える必要あり

都市的なコンテクストは?
→木密住宅があるなど、住宅街

なぜそこで(敷地)間を?
→探しやすいという物理的な条件から豊島区で、自分が魅力的だと思う間を探した

青井
間を作ることにこだわると言っているが、どこに間を、どんな間を作っているのか
例えばって今でてこないことがありえない。イメージできないから止めるってこともありえない。イメージできないけど、とりあえず走らせて描いた何かがあれば、山口さんが再解釈してくれる可能性があるのに、なぜそれを出さないのか。自覚が足りなさすぎる。3人のアーティストはだれ、ギャラリストはだれっと言った情報もなさすぎる。仮に選んだアーティストと間との関係はあるのか。その場所性から生まれるアーティストもいるとしたら、それを意識して、つまり場所性・手垢などから作るものとして、挑戦状のような空間を作っていくことを考えないといけないのではないか。
全てのエレベーションを1/10で描けるぐらいのドローイングが書けるかどうか必要なのでは。そうすると複雑化せずとも過剰さが出てくる。

山口
過剰さの出し方の話になるが、多様な読み解きをガシガシやっていくといいのでは

青井
壁はひっぺ剥がしても、電球が残っていてもいいとか。
ギャラリストは自分ではなくて、他者の方がいい:甘いものに見えてしまうため、他者と戦った形跡が欲しい



・よっしー「東立科の未来をつくる-循環を生み出す建築-」

酪農が縮小していく中で、開拓地だった場所の未来とは。アルベルゴ・ディフーゾを参考に、酪農体験者が泊まるためのホテル。また生産を行っているが、加工は行っていないため、加工できる場所を作り、消費まで行える場所として循環。さらに他集落との関係を作り、集落同士でも循環させる。そのため機能は、食堂とホテル、加工場。食堂は小さい材を集め、空間を生成させる。架構という原理が、鉄骨・木材と素材は異なるが、全ての機能に共通する

山口
100人という数字はどう生かすのか。どう設計と関係しているのか
→あくまで数字しか関係はしていない

2000mの集落に対して100人という数字がどういうスケール感なのか。それがどう建築に現れてくるのかが、興味深い。美しい話に聞こえて、耳触りはいいが、コンサルの描いた企画のような感じに聞こえてしまい、なまなましい感じがない。なまなましい感じがすると、そこでグッとスケールが引き寄るのではないか。現状では若干、都市スケール(集落)と建築スケール(レストラン)がリンクしていない。タイポロジーを生み出したい欲望は共感するが、生活するまでの感覚まで得られないと、新しいタイポロジーは生まれない。現状では単にトレースしてるだけ。他のことを見ても、引用グセがある。生活とプレイヤーにもっと踏み込んで、自然と引用が浮かび上がるような感覚が欲しい。立科の未来を作っている空気感を、どう表現したらいいのか。

青井
今の山口さんの話だと、新しい生存の様式が生み出されるのか、そうするとどう新しいタイポロジーが生まれる、という考えになる。
現在、機能しか関係性がない。機能は点に見える。線はどうか。線は動きで、人や牛など。では面は。エリアとして現前してくる。面で作られたものが、引いてみると人の動きがラインとなり、さらに点となり機能が現れる。面と線と点が100人とリアルに結びついてくる感じがする。100=90+10だと弱い気がするから、100=75+25くらいのスケール感。それらがどう動いていくかで、設計を進めていくのがいいのでは。
「開拓」という言葉はインパクトのある言葉。きつめ。reclaim、主張して要求して獲得する、という意味がある。よっしーの案は、re“reclaim”のような泥臭い案にしていかないといけない。



・三須「谷地住宅街における都市の変容」

谷地住宅街がどう書き換わっていくのか。敷地は目黒。巨大なビルが立ち並ぶ中、スケールの小さな住宅が集まる住宅街を対象に、斜面地における建築を考える。機能においては都市機能を挿入することで、住宅に純化しただけでないエリアを作る。その時、プライバシーの問題を上下の操作で解消させる。

青井
東京という都市は地形が起伏があり、大きなインフラが通ると、まるでしわ寄せのように奇妙なエリアが出てくる。では、それをどう見ているのか
→アクセスの複雑さ、道の断絶

山口
なぜこれをするのか(都市機能の挿入はなぜ)
→住宅が書き換わる時に、マンション建設などあるが、斜面があるからこその面白さを魅力として感じているため、住宅だけのプログラムとして残り続けるのはもったいないため、都市機能を入れたい

論として補強して欲しいのは、面白い・魅力はマジックワード。その中の切実さ、モチベーションが見えにくい。そもそもその建て替えの計画があるのか
→計画などはない。ただ、区が建て替えるマンションがあるため、そこを起点として描けないか

今の説明では、なぜリノベではダメかわからない。クリアランスの話。
今その時代に三須がやっている切実さが感じられない。面白いだけで説明してはもったいない。
住む人の交通は?
→自転車、徒歩が多い、車は止められない

建築の話になっていない。都市の変遷の話はわかるが、建築の話へどうリンクしていくのか
長崎、呉などの斜面地とどう異なるのか
→都心の中での住宅のあり方、都心ならではのオフィスに勤める単身者などを対象にしている

この場所にしかない斜面地の状況、発見などから次の姿が予想され、見えてくるのではないか。その時は相対的に考えていたり。
この設計をやる上での思想が見えない。つまり、何がしたいのかが伝わってこない。



・竜

闇市である溝の口西口の商店街が敷地。そこの風景として見られる「モノの転用」に着目し、“よさ”を持続可能なものとして、地域に還元している空間にできるか。その時、モビリティ(移動販売などの車)を介入。現在ある商店街の道を性格づけし、どう空間の位置付けを変化できるかを、アクティビティと共に設計。

山口
大野の提案はモビリティを入れる以外に、何があるのか。
→モビリティを入れることは手法であり、やりたいことは私有が崩壊していることに対して、違う見せ方をすること

モビリティはなぜ出てきたのか
→元々、溝の口に存在する移動販売車を参考に。そして、闇市に見られる貸し借り関係の異常さ=モノが動いていることを、モビリティとして捉えられるのではないか

建築と結びつきそうな概念がヒエラルキーが、これまでのリノベーションにない視点。それが街自体のあり方が変わる。つまり、モビリティという今までのリノベーションにない視点から設計を行うことは面白そう。例えば、平面図が明らかにリノベーションから生まれた平面図になっていくことが面白い(モビリティの視点から描く平面図)。転用すらもモビリティなら、見たことのないモビリティがあっていいのでは。
→モビリティよりフラックス(塚本さん)という言葉の方が近いかも

モビリティは移動手段が見えてきてしまう。しかし、この提案では移動手段ではないモビリティの扱い方がありそう。そこをどう表現するか。細かなスタディと共に、街に介入した時に見たことない街の風景が描けるならいい。それが1920年代のリサーチと関係してきそう。
提案の幅が、モビリティが入り込むだけではないということ、であることが重要。提案が平面的であるが、2階に上がれるモバイルがあるのか、とか、断面図が迫力が出せそうか
→2階の空き店舗に対して、スラブの上が入れる余地の状態などをスタディ

青井
裏路地の空気感や元ある通りの地場などの方向が2階まで続いていくことは容易に想像できるが、2階に上がれるモビリティはどっちでもいい(笑)

山口
建築は動くか、定住するかの二項対立的に考えがちだが、その双方を捉える価値のある提案になりそう

商店街の周縁とモビリティの関係はあるのか。例えば、主要道路が通った時の商店街への影響に対してどう考えているのかなど。これがどうリノベーションと関係があるのか



・ゆかちん「超渋谷的showrooming」

渋谷という都市に対して、“私自身”が一つの感じられることを、一つの建物へ。実は私自身が感じている渋谷は面=表象で作られているもので、構成されていそう。また、それを感じる印象は断絶しているが、空間としては連続している。それらの渋谷で得た“感覚”を建物にどう作ることが可能か。キーワードとなりそうなのものは、包囲性と広がり。機能はshowrooming。

山口
超渋谷的な建築を新築する?
→最終的には渋谷性を消す=渋谷を超えたい

渋谷のリサーチ自体は納得がいくし、面白い。ちなみに渋谷ストリームはどう感じたか?
→調査している対象のエリアが異なる

でもそのストリームとも関係なさそうなのが、渋谷らしさでもありそうなので「エリアが異なる」で片付けていけないような気がする。都市的な渋谷で感じた調査と空間へ落とし込む時の手法を橋渡しするための“ショールーミング”がイメージできない。跳躍している。
→空間の質の不均質性=人の居心地と繋がりを感じられる中で、ショールーミングが商品を体験するという行為=建物の体験であるため、都市の体験まで飛躍できそうだと思っている。

ショールーミングよりも渋谷のリサーチの方が愛が大きそう。手がかりはそっちなのでは。

和田
ショールーミングという言葉はいいイメージか。渋谷という都市を通して、ショールーミングという新しい建築形態の設計、として考えられそう

山口
本当にそれでいいのか、と疑問に思ってしまう。パッケージングで渋谷的なビルへ一つにまとめていいのか。他のビルと繋がっている方が、渋谷らしいのでは、例えばヒカリエやストリーム。しかし、そうすると他のビルと一緒になってしまいそう。

敷地はなぜそこか
→場所にこだわりはない、空いてたから。

青井
バラバラ、分裂、統合というテーマは生きているか。
→なにがバラバラなのか、よくわからなくなっているが、私が感じているバラバラな印象だが、それを統合している私がいる。しかし、それを一つのビルに置き換えていいのか疑問

山口
私性を突き詰めた先に、何か共有性を作らないと理解されない。中途半端になるよりかは、突き抜けたものを強く思ってやるしかない。少なくともちょっと面的にすると安心する。渋谷的でないものを渋谷的に変えるとか。

青井
渋谷的でないものを渋谷的に変える。渋谷的なものをハイパー渋谷的に変える。渋谷的なものを一つのものに閉じ込める。の3つの選択肢がありそうで、一番最後のものを選択している。



・光「脱領域化する都市景観」

ある種、巨大な暴力性がある名古屋の100m道路の都市景観に対して、新しい景観をつくりたい。100mを歩くときおおよそ90秒。90秒は現代に存在する基準になっている時間。そんな中、一つの巨大な箱として都市の機能が入っている中日ビルを対象に、脱領域化という概念から100mを克服する建築を提案する。脱領域化=街区からはみ出している

山口
機能は何が入るのか
→劇場、結婚式場、文化教室、文化施設などだが、機能に頼ることをしたくない。目的的なプログラムは入れたくない。元々中日ビルに人が来ていない。

なぜボリュームは丸のか
→小さい粒と大きい粒とを結びつけるため。そして、ハコモノの否定がしたい。

100mが持ついい部分がないのか。目を瞑ると思い浮かぶくらい印象的なもの。線状に広がる空地=都市の価値のある部分。もっと愛してもいいような。
脱領域に対して、出てきたものがかなり大雑把な感じがする。もっと繊細な話にしていかないと、あまり説得力を感じられない。リサーチと現状の把握とブリッジが2ステップぐらいで進んでしまっている感じ。リサーチが足りない自覚は?
→自覚している。ただ100mに対しては歩いてるだけで、もっと何かができそうだと感じている。

実現したいことが少なすぎる。繋ぎたい。ボリュームを分化させる。の2点しかない印象。例えば、車を運転する人は。連続した風景に対して、どうだとか。スタディで得たことをフィードバックしながら、根気強く具体化していくことが重要。

青井
今でてきた山口さんの事柄どうしは、並列ではない。100mに対する問題が上位に存在し、何か形を投げかけてみて、そこから車道に対してどうなど、投げ込むとこうなります、というイメージが付いていない。そこを検討していくスタディが必要。

山口
何重にも行われたスタディによって、やりたいことが達成できる。手は動いていそう。リサーチが足りないような気がするから、そこで発見などがありそう。
→縦が長いというリサーチを初期行っていた。が、やればやるほど中日ビルから離れている気がした。



・原竹「日常と非日常の融和」

日常と非日常を感じる神宮外苑において、新国立競技場をも日常と非日常が体験できるスタジアムへ。スタジアムの下にあるプログラムを分散させることによって、日常的に使用できるオープンスペースへ変えるなど、地層的なレイヤーとスポーツのレイヤーを重ね合わせていく。

山口
問題設定はクリーン。現場に行ってみるとやばいという印象。説明だと抽象的な話として理解できるが、具体的なものとしてリンクしてこない。具体性が欲しい。精緻な各階の平面図をベースにスタディしていく。大きい中で使えそうなところをポイントしていく。名前を変える設計ではなく、絶対こうなった方がいいという設計にするべき。

周縁部分と繋がるためのしつらえ。しかし、暗くなるというネガティブをどうするか
単に批判的に見て、何かする、というだけではなく、ある適度ポジティブな要素を捉える。

青井
具体的な人の動き(チャリ・散歩・ランニングなど)をイメージした図を作成していかなければいけない。

山口
新しい道ができたが、まだ接続していない。それを接続するためのもの。という捉え方。
パラスポーツに対しての視点が入り込むのは、面白そう。そういう人たちにとって、体を動かすことはとんでもないことだから、今の新国立競技場にない視点として捉えられそう。



山口さんからのコメントや引き出し方など、羨ましいと思いつつも、僕も勉強になるところがたくさんあり、参加してよかったです。
この後、みんなで飲み会へ。
卒業設計エスキスの延長戦でもう一度各々議論をしましたが、そのときの「スタディのためのスタディを検討することが大事」という山口さんの言葉には、なるほどと思いました。
山口さんのアドバイスを自分なりに咀嚼しながら、自分の卒業設計なので楽しんでやってほしいと思います。
みんながんばれ、

M2 寺内