建築を濃くする-BUILDING Kを見学して-

5月24日(日)にAoi lab. field walk vol.1 in SUGINAMI(この名前はマサキと二人で勝手に決めました)という名のもと2009年度青井研最初の建築・都市観察を高円寺、阿佐ヶ谷にて行った。その行程で、BUILDING Kを設計者である藤村龍至さんに案内していただいた。



BUILDING Kを見学して。
1階にはスーパーが入っており、2階以上は基本的には25戸のワンルームからなる集合住宅である。2階から4階の住戸は、空間として特に提案性は無く普通のワンルームマンションだ。屋上は唯一慣習を変える可能性のある空間で気持ちよかった。が、今まで無かったような空間かと言えばそうでもない。
というのが、深く考えずにこの建築を体験して素直に思うことだ。

しかし、この建築の特徴はそのつくられ方である。



直接話をお聞きして感じたこと。
藤村さんが行っていることは建築を濃くするということである。それは都市の中に突出した工芸品のような建築をつくることではなく、あくまで今都市に溢れている薄い建築(現代の建築生産システムに乗っ取って自動的につくられた工学的ヴァナキュラー建築)たちよりも濃い建築をつくるということだ。
その方法は、構造、設備、法規、商業的な効率、物理的条件など、もはや建築家の手から離れてしまったようなものを、もう一度建築家の手元に引き寄せ、それに関わる専門家(意匠、構造、設備、…)の集団的アイディアとして建築をつくることである。工学主義に対して無批判で自動的につくられる薄い建築よりも、建築として濃度の濃い物をつくる。これは、構造、設備、法規、商業的効率、物理的条件を把握した上で建築家がデザインするということではなく、建築家のデザインもそれ以外の条件と並列にして考え、建築をそれらの統合物としてつくるということ。藤村さんがこのプロセスを線形的な自動生産ではなく、超線形的と主張されているのはこのプロセスにおいて建築家の工学による飛躍が用いられるためである。
ガラスの基壇の上に10本の小さなビルを建てるというデザインは、1階店舗部分の商業的効率を最大化すること。近隣の風景を真似ていること。設備計画上、建築の外構と屋上を設備置き場にしないためにスリット上の設備スペースをつくること。構造を設備コアに集約してメガ・ストラクチャーを採用することによって、10本のビルの柱を1階に落とさずに済んだこと。…など、いろいろなアイディアと結合してできている。

建築のテイストは、批判的工学主義を実践するということのみを考えれば、BUILDING Kのようなテイスト(同じ大きさの引き違い窓を多くの場所で採用したり…窓に対してあたかも無関心であるかのように振る舞う)ではなくて、もっと造形的(?)な建築表現であってもよいという。しかし、藤村さんが「設計中はずっと、向かいのビルのようにつくりたいと思っていました」とおっしゃっていたのは印象的であった。周りに拡がる工学的ヴァナキュラー建築に対して、批判的工学主義建築を設計しているにもかかわらず、設計した建築は工学的ヴァナキュラーのようでありたいと思っている。これには、アトリエ派のようにオルタナティブとしての提案にしたくないという思いと、東工大の建築観によるところがあるという。僕が思うに「普通さ」。

というようにして、藤村さんは今日の都市に建つ薄い建築よりも濃い建築をつくるのである。工芸品、オルタナティブとしての建築ではなく、あくまでメインストリームになる建築を。


それをふまえると、屋上の空間のことが納得できる。

冒頭でも書いたが、屋上は4階までの住戸とは違い、窓が向かいの住戸と向き合っていたり、玄関が外から見えるような開口をしている。これは超線形プロセスの「超」の部分に入るところに思う。4階までとは明らかに違う構成をどうして行ったのか?という質問に対し、藤村さんは「実験です」とおっしゃった。ここで、受け入れられれば次の仕事でも実例として提案できるからという説明であった。この屋上のような空間は、森山邸をはじめオルタナティブの建築としては今までも十分にあり得たものだ。建築学生ならそんなに驚くべき空間ではない。しかし、ここで問題なのは藤村さんはオルタナティブではなく、メインストリームとしてこの建築を位置づけようとしていることだ。そういう意味では、この屋上は新しい意味のある空間なのかもしれない。


以上のようなことが、今回藤村さんのお話を聞いて僕なりに把握したことだ。



藤村さん、忙しいところ本当にありがとうございました。

GURE