読書ゼミ02:『建築家なしの建築(バーナード・ルドフスキー/1964)』

■第2回/5月20日


1964年9月にMoMAニューヨーク近代美術館)で開かれた同名の展覧会のカタログを独立した書籍として出版したもの。ルドフスキーは当時のアカデミズムが取り上げてこなかった風土的建築や集落を世界各地で調査していた。1931年にベルリンの建築博覧会で最初の展示会を開き、1941年には実現しなかったもののMoMAから依頼された企画展でも同様の展示を行おうとしていた。モダニズム全盛期にこうしたアノニマスな建築を取り上げていたことは非常に驚きである。

ルドフスキーは様々な分析を通して、現代的な発明(建築の工業生産化、部材の規格化、空調設備、暖房にいたるまで)の先駆となる要素が風土的な建築の中に多く見られることを強調する。それらは生活において必要な部分に呼応して「無名の工匠たち」が作り上げたもので、ひとたび生活様式が確立し、慣習が住居様式を生み出してしまうと、変化のための変化は行われない。そこには自生的な建築の力強さが見てとれ、著者はそのことを通じて現代的な生活に対する批評をしているように思われる。

同様に著者は建築そのものの性格さえも欧州の伝統的な建築と比較する。例えばまるで宗教建築であるかのような食料倉庫(*1)に対して“高級な風土的建築(High Vernaculer)”というような呼び方さえする。それは高貴な様式をもった建築しか論じてこなかった当時の建築史に対する批判でもある。


本来は展覧会のカタログであった本書だが、建築界に風土的建築の領域を開拓したという点で大きなきっかけとなるものであった。世界中で調査した様々な事例に対して、一貫して“建物(Building)”ではなく“建築(Architecture)”と称している点に注意。無名の建造物さえも“建築”と呼称することで建築史の文脈に取り込もうとする姿勢は、次回の『ラスベガス(ロバート・ヴェンチューリ/1972)』とも共鳴する。


(*1) 食物が産業の製品ではなく、神からの授かり物と見なされる社会では、穀倉の建築は厳粛な形態をしている。


M2 miyachi (blogより転載:http://d.hatena.ne.jp/miyachikunihiko/