高円寺+阿佐ヶ谷

■01:座・高円寺伊東豊雄/2009)

雨がパラつくあいにくの天気の中、最初は伊東豊雄最新作の劇場コンプレックス。黒いテントのような岩のような不思議な形態は、道を歩いていても電車に乗っていても目に入る。半分地下に埋まっているため、かなりこじんまりとした印象。ただ様々な幾何学を使ってデザインしたという屋根面の形態が、アイレベルや内部空間からはあまり認識できないのは非常に残念。


中に入ると思っていたよりも暗い。赤い壁に開いた丸い窓と照明がチカチカする。写真ではきっと“まつもと”のように着色してあるんだろうと思っていた床の水玉模様は全て照明の光だった。窓・照明とも相まって暗い空間の中でこの丸い模様が反復することで、ゴツゴツしたテクスチャにも関わらず抽象的というか、現象的な空間の印象を受ける。


ふと1階のホールから阿波踊りの練習のにぎやかな音が聞こえてきて、搬入口が建物の真正面にあることを再確認する。そのためホワイエが建物の手前側ではなく左側に集約されて一番奥に階段があり、建物の内部を隅々までぐるっと回れる構成になっている。一般来館者が入ることができない不透明な部分が少ない印象を受ける。こうした一体感のある建築体験ができると、何だか建築に対して愛着が湧く。“あえて閉じる”というコンセプトがどのような状態を生み出しているのかとても気になったのだが、もしかしたらホールが搬入口を介して直接街とつながっていくような使われ方がしたりするのだろうか。実際の設計プロセスはまだあまり調べてないが、もし仮に配置計画の上で仕方なくそうした構成になったのだとしても、建築のヒエラルキーを崩していて非常に面白い。


ホールは一切入れなかったのだが、いずれホールを含めてこの建築の総体を体験してみたい。もしかしたら今後の伊東建築を語る上でさほど重要な存在にはならない可能性もあるのかもしれないが、公共建築としては良作という印象。それにしても伊東豊雄の語る「透明性」についてはもっとちゃんと勉強しなきゃダメだな。



■02:BUILDING K(藤村龍至/2008)

最近藤村さんに色々と構ってもらっているにも関わらず、実は行ったことがなかったBUILDING Kに初訪問。日曜日であったにも関わらず、藤村さん直々に案内していただく(以下敬称略)。


細い商店街の道を抜けていくと、突然現れる。1階のテナントスペースにはスーパーが入っていた。竣工写真で見ていたときは、あまりにも透明なテナントスペースがどう使われるのか気になっていたが、実際は何事もないかのように使われていた。ただしガラスは不透明なフィルムで覆われていたが。たまたま空室になっている部屋に通していただくと、内部は至って「普通」な賃貸住居。窓は下端の高さが400mmか700mmというルール以外は既製品を使った極めて機械的な操作。設備関係を集約したメガストラクチャーは、当たり前だけど非常に効率が良さそうな印象。誤解を恐れずに言うと、建物全域にわたって極めて「普通」な印象(この点は後述)。しかしその中でも屋上部分はあたかも上空に小さな町ができたかのような不思議な秩序があって面白い。建物自体が周辺より少し高いので、窓やヴォリュームの合間から眼下に周囲の町並みが見えるのは気持ちが良い。室外機をメガストラクチャーに集約したことで得られた新しい屋上の環境。ちなみに外観からは認識できないとはいえ、建物の構成が基壇階/主階/屋階という伝統的な三層構造になっている点も興味深い。


藤村さんを囲んで質疑応答。BUILDING Kの「普通さ」に対して、「慣習を変えることが目的ではなく、新しい工学的ヴァナキュラーをつくりたいと思っている」という主旨のコメントをいただく。目指しているのはオルタナティブな一品ものではない。このあたりは「東工大の血」が通じているとも。そして最も気になっていた「批判的工学主義の建築を純粋工学主義の建築と差別化する原動力になるものは何か」という疑問に対して、「設計/構造/設備など様々な領域の専門家たちの集合的創造力」という解答をいただいた。僕はてっきり藤村龍至は作家性を拒否する人間だとばかり思っていて、例えばBUILDING Kのプロセスにおいて、周囲の建物のヴォリュームと同調するようにとか垂直性が出てきたから育ててみたといった感覚は、極めて建築家的な視点ではないかと思っていたので、こうした明快な解答が得られたのは大きな収穫だった。その意味で藤村のとるプロセスは「“単純”線形設計プロセス」ではなく「“超”線形設計プロセス」たりえる。


しかしだとすれば、批判的工学主義というイデオロギーを共有しながらも、もっと作家的な成果物を実現することもまた可能だといえるのではないか。よく事例として紹介されるMVRDVの都市計画や吉村靖孝のDOUBLE TEMPOは、ある工学的な条件や状況に注視してそれをドライブさせて、ある特異な形状なり形式なりを導き出している。こうしたスタンスのほうが過程と成果物を双方から事後的に読み取れるような作品になるのではないか。このあたりはスタンスやテイストの問題なのかもしれないが、おそらくBUILDING Kはその「普通さ」ゆえに色々と誤解を招いているように思われる。批評性があるのは成果物としての建築そのものというよりもその設計過程においてで、何の説明なしに設計意図を見い出すのは難しい気がする。いずれにせよ、我々は批判的工学主義をもう少し柔軟に解釈しても良いのかもしれない。


お休みの日にも関わらず、直接丁寧に案内してくださった藤村さん、ありがとうございました。



■03:公団阿佐ヶ谷住宅前川國男/1958)

JR阿佐ヶ谷駅からバスで数分行ったところにある公団住宅地。テラスハウスを採用した公団住宅地としては国内最初期のもので、もう築50年。


コンクリートブロックに赤い屋根。こじんまりとしたプロポーションで、連なって立ち並ぶ姿は何だか可愛らしい。住居に続く小道は公園と境界が分からないほど連続していて、絵に描いたような豊かさがある。通常公団の住宅地は改築や増築が許されないものと思っていたのだが、この住宅地はだいぶ手が加えられている。玄関のドアや屋根材はもちろん、庭をつぶして増築したものなど、一見同じような建築群の中に多様な変化が見られる。


しかし老朽化が激しく、半分以上が空家状態。再開発されることが決まっており、取り壊される日も近い。人気が少なくなって治安も悪化しているらしい。良質な住宅地がまた1つ無くなってしまうことは非常に残念だが、この阿佐ヶ谷住宅で試みられた住宅地開発はその後のニュータウン開発でのタウンハウスにしっかりと受け継がれている。50年間お疲れ様でした。



M2 miyachi (blogより転載:http://d.hatena.ne.jp/miyachikunihiko/