謝恩会'17

こんばんは。修了したはずなのに、ここ数日相も変わらず研究室に通っている中井です。
「最後のブログですよ!」と、次期M2のあづみさんに半強制的な機会をいただき、今年の謝恩会について簡単に書いてみます。あんまり長くてもあれなのであっさりと、後輩たちには背中で語りたい限りです。

今年はM2が7名、B4が7名卒業し、計14名のうちなんと12名が青井研を去ります。
そんな卒業生へ向けて、謝恩会では毎年恒例のM1作成ムービーがお披露目されました。
昨年我々の代はこの動画を、あーでもないこーでもないと結構なエネルギーをかけて作成し、今年はあのクオリティ越えられないだろ〜なんて冗談めいて同期で話していましたが、次期M2、さらっと越えてきました。
ここで詳しくその動画をご紹介できないのが残念ですが、
モーションキャプチャー」という今流行りの(らしい)表現技術で、macPCの画面動作を録画(?)し、我々が日常的に使用しているソフトやSNSなど活用して卒業生14名へのメッセージや特徴を紹介してくれました。
それがなんともユーモアと皮肉と愛情たっぷりの、15分にもわたる秀逸な作品でした。うん、あれはもう“作品”の領域です。

そもそもこの次期のM1は、就活に自分のゼミに大会論文の執筆などなど色々タスクがあるのに、なんという完成度かと一同びっくりしつつ、当の本人たちは「意外と数日でできたんすよ〜」と言いのけ、M2おじさんおばさんはさらに驚愕するのみ。どんどんハードルがあがって毎年のM1は過酷です。笑
4月からは多少人数が減るけれど、こんなにパワフルなM2を中心に青井研はさらに盛り上がっていくだろうと確信した夜でした。

また青井先生への感謝をこめて、B4からは意味深な「パンツ」と色紙を、そしてM2からは「DIVING」(ダイビング)という題のM2作成冊子をお渡ししました。
この冊子には、M2計7人による座談会「特集 第9期の研究室観:イマダカラ イエル ハナシ」や、修論中のM2の生態・台湾調査の裏話・個人的嗜好作品などなどの特集に加え、その他格言シリーズや青井研的広告など、なんとまあてんこ盛りに収録されています。当初これがまさか研究室に贈呈されるとは考えておらず(完成した結果あまりにも良いので後輩にも読んで欲しくなったM2勢)、みんな結構言いたい放題ぶちまけていますが、それもまた一興ということでM2にとっては良い思い出となりました。
そしてこの「DIVING」というタイトルには、以下のような意味合いがあります。(以下、「DIVING」より引用)

「対象にダイブすること、そして一気に引いてみること、それを繰り返す」
2018年トウキョウ建築コレクション修士論文展公開審査会にて青井哲人が述べた言葉である。
しかし、思えばこれは以前より先生が私たちに示唆してきたことの根幹をなすことではないか。
“ダイブ”にはきっと、ただ飛び込むだけではなく客観性を隅に置き、その身を挺して対象世界に没入する、といったニュアンスが含まれている。
私たちは卒業設計・論文にはじまり、台湾調査、福島アトラス、tOR、そして修士研究と様々な世界にダイブし、各々ある一つの歴史を描こうとしてきたはずである。
それらの活動を踏まえ、本誌は2018年3月の博士前期課程修了に際し、私たち青井研究室第9期生7名の多様を極める思考の海にダイブするべく、“大真面目にふざけながら”制作したM2最後の表現物である。

さて、この4月からそれぞれが色々な思いを抱えこの研究室から外へ出て行きますが、新たな経験をした皆とまた集まって熱い建築談義に花を咲かせることを夢見つつ、最後にこの言葉を送ります。
後輩のみなさん、良い悔いの残る1年にしてください。

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がせておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

2018年 第1号

遅すぎますが、明けましておめでとうございます。
今年度M2になる身としましては、一層気を引き締めていきたいと思っております。


23日にB4の卒業設計の提出が終わり、青井研にも秩序が戻ってきました(笑)
あとはM2の先輩方の修論提出が残っているので、やりきって欲しいです。
青井先生のよく言う、「良い悔いが残るように」。
難しいことですがまさにこれだと思います!


さて、話は変わりますが、つい先日『TOR05 丸子』が完成しました!
武蔵小杉駅中心に現在、次々と建つタワーマンション。これが今回のキーワードとして挙げられると思います。
前面では、これらは多くが、工場の跡地に建っていることから工業都市としての歴史綴ったもの。
後面では、街歩きで感じることができた、武蔵小杉から北上していくとタワーマンションの風景から
団地の風景へと変化していく、まるで現在から過去に遡っていくようなところに面白味を見いだし、丸子の住宅の変遷を追っていきます。

今回の担当はM1河野、今、寺内の男子3名とB4相川、生沼、片山、鈴木、武田の5名、計8名です。

青テイストで、表紙の写真も丸子の歴史を一気に物語るものとなっており迫力があるトップとなっております。
丸子を南北に切断した断面図も、丸子を見る新しい視点として見ていて楽しいものとなっていると思います。

私は今回は関わっていないので、あくまでも第三者の視点として書いておりますが、
もし今回関わった方で、もっと語りたいという方がいましたら、コメントでも、新しい記事でも良いので
お願いします(笑)

中身は載せないので、青井研の前に貼っておきますので、是非見にきてください!


M1 保川

2017/12/02 青井研卒計中間発表 @共用部

12月2日(土)に青井研恒例、ゲストをお呼びした卒計講評会が行われました。
ゲストは昨年に引き続き、橋本圭央さん(東京藝術大学美術学部建築科 非常勤講師)山口陽登さん(siinari建築設計事務所 主宰)のお二人。
自在画が卒計ブースに設営されてしまっていたので、今年は10階の共用部で。

B4はもちろん、M1,2の参加も多くいい講評会だったのではないでしょうか。
もちろん、ゲストの方のコメントがメインですが。
以下その内容ですが、たなっしーはあやさん、ちゃんまんはまりえさんに議事録を取ってもらいまして、書式が違うのはご了承ください。



たなっしー「名も無き建物と建築の関係からみる都市再生の再考」

・雑居ビル
・広場、オープンスペース
・設置階→家の機能が多様性をもって行われる
・人が集まって、話す、食べる

山:ガソスタ大屋根
  道路の延長線が建物に引き込まれる
  平面的に街のつくりが変化していく
  ①断面的な気づきがほしい
  ②平面的な気づき
  ③「住まう」を再定義すること
  ①〜③の繋がりが重要
  1階は店舗が向いているのでは?→なぜキャンセルするの?
 
た:店舗の1階はお金儲けの部分
  「住まう」、住居を考えると高円寺にはあらゆる機能が押し込まれている
  街のでき方→高円寺にあるもの、ここで使われることを想定
  
山:高円寺の街の魅力の路面店を否定しているのか?

た:高円寺でどうゆう住み方
  設置階の人とそれ以外の人への提案があるのでは

橋:高密度になっている、都市の居住性を内包する話をきちんとするべき
  コインランドリー→出会いの場、貧富の差も感じる
  設置階に再配置する意味→社会構造や住居性、ハブリッドなもの
  垂直方向の動線の考えは?
  垂直方向の動線計画
  
青:ボリューム+タワー
  2、3階をガラスの壁面にして、設置階との繋がり
  雑居ビルの状態から透明な設置階のあり方が面白いかもというイメージ

た:飲食店が多く並んでいる→ガラスのするのが難しいのではないか
  
橋:透明性を持ったボリューム
  道化されたプロセス

青:仮装論理としての設置階
  全部ないと見立ててみる
  見立てから生まれる設置階のスタディーをやってないのではないか

橋:見られたくない部分とその他の関係性
  ボコボコ
  路地みたいなもの

山:1階の平面図→みたことのない街の見方が生まれるかも
  棟ごとに考えることをやめてみる
  またがる→設置階かそうではない階の新しい風景

青:所有の論理、都市の論理
  都市の論理→断面的な分節

橋:アウトソーシングを簡単に使わない方がよい

青:具体的なアクティビティを考える




ちゃんまん「郷蔵−地域の核としての酒蔵−」

「酒蔵の近代化に対応した空間を生む(職業連関や地域のつながりを取り戻す?)提案。今後の産業がどうなっていくのかを空間的に出す」
プログラム:酒造りの展示化(メタファー)、宿泊施設(不要になった杜氏の現れ)、飲食店、米ぬかを再利用しレンガを成型(東北大学で研究中)

酒蔵を縮小して新しい機能を加えていくということではなく、空き蔵を利用。作業工程を整理してコンパクトに。

*どこが新しいのか?という疑問が必ず現れてしまう。

[提案]
①精米所を曳家→大通りのファサードを整える→<中庭1>ができる
②機関蔵(現在不使用)妻面が見える→エントランスホール的工場になる
③<中庭2>酒造りに必要な水の存在を強化
④酒蔵のグリッドを45度にふる→全体で感じさせない設計にする<中庭3?>

増築過程=コの字状に江戸〜明治〜大正にかけて増築している
→酒造の時代的な流れも含め、分かりやすいダイアグラム化すべし

中庭を広げる必要性はあるのか?
時計回りの酒造の工程が近代化によって変化しているから空間を改変するという説明にしてくれればわかる
図化(生産、滞在などのラインに分けてダイアグラム)しないとダメ
視覚主義的設計になっていてモダニスト的で場当たり的。それだけではないはず。

山口さん
陶器の金とじのような繊細な修繕(江戸時代からの酒蔵の工程歴史など)が酒蔵に現れてくるのが面白い
マスタープラン(改修計画)を避けるべきなのではないか?→結果的には大きく変わっていることになれば良い
「ダイナミックを緻密に避ける」





俊樹「広場庭モデル」

名古屋の車社会に適応させること=駐車場を建築化することによって、広場と庭の概念を書き換えるとともに、道や街との接続と、ハレとケの利用を考えながらも全体を計画する。
具体的な建物は、ケの場合は駐車場として機能し、ハレの場合はイベントを行う舞台装置の役割を果たす。断面構成は1Fは駐車場、2Fに住居を配置することで住まう街を前提にした提案

質疑
2階以上に住居を計画することはあるのか?
→2階が住居の庭になりつつ、客席の場として作用する風景が得られる

敷地の問題と選び方はクリア
ハレから構成を考えること、駐車場を残すことは良いが、日常(ケ)のセキュリティコントロールを考えたほうが良い

構成プログラムの決め方は?
仮想の道に対しての接続を意識している
その時広場としての庭と個人としての庭を繋げる

ケの時の話があまりにもないが、ハレの時からの建築を考えた時のケの状態を作るという話であっているか?
そうなるとハレからどうケが作られているかを提示しなければいけないのでは

なぜこの敷地?
平成元年に街が更新されてしまった時、一時は盛り上がったがイオンに人が持って行かれたこと、駅から商店街へ行く場所に中央分離帯によって分けられてしまい、賑わいがなくなった。
歯抜け街になってしまったが、むしろそれがポテンシャル
中心的周縁性になっていることをちゃんと説明するべき
シエナのカンポ広場を思い浮かぶ→広場の形が非日常の時の都市構造を変えることを実現している

商店街活性化するという案に聞こえてしまうが、そうではないこと、つまり今ある現状を生かした提案ということを説明するべき
立ち位置を明確にして行く(駐車場の扱い方など)




みきてぃ「Sense of wonder–チャイルドスケールの提案と雪ノ下小径空間への適応−」

子どもは突発的な行動を起こし、我々が想像しないようなルールを構築しながら生活している。これをチャイルドスケールと名付け、鎌倉の雪ノ下の敷地において設計を行う
全体計画としては、街区に公共施設を挿入することによって、街の中でも意味を書き換えることができる
しかし子どもだけの空間はあり得ないため、大人の視点と子どもの視点を重ね合わせ、空間を作る方法を提案する

質疑
ただ広い場所では鬼ごっこが起きるわけではなく、特定の空間が必要であるためにダイアグラムを作成して設計をする

一つひとつのアイディアが分散的であり、こじんまりしている。つまり全体としてのダイナミズムがない。もっと変なものが生まれるはず

現況の潜在性をこの提案ではどう捉えているのかも重要では

ランドアバウトの円の意味は?
→ただ入れてみただけになってしまっている。スタディの始まり
同心円の意味を考えなければいけない

作られる空間の行動、場所などが整理されていない
チャイルドスケールとチャイルドスケープを作ったほうがいい
チャイルドスケール同士、チャイルドスケールとチャイルドスケープを繋げるのが、子どもの行動であるなどを丁寧に考察して行くべき

美しい話で終わらせないように、セキュリティコントロールを提示する

「子ども」と一言で言うのは雑であり、対象年齢をはっきりさせる
→未就学児
排他的すぎでは?
→0~5歳を対象にするのはそこが一番成長していく中で重要であると思ったため

大人のスケールに成長した時に空間体験がどう変わるかを意識して、ラージスケールを挿入したほうがいいのではないのか

チャイルドスケールを用いることによって、多重化することへの意味は?
遊具だけが説明可能であるが、それは遊具であるため必要ないことでもあるが、、、
大人と子どもが同居する(多重化)意味がクリティカルに問われる

地元民のための空間を確保する必要があるのか?
どういうモチベーションがここの敷地に存在するのかが重要になる

アジャストしたことを感じることで、アジャストしていなかったことを経験させる
それは、大人にとってもいい経験になるのでは?

動的なところと単位なところ(mでええの?的なところ)を子どもから出発して多重化、ダイナミックにしていくと整理される
これを構築した時に「変な状態」を生み出して、それ自体を整理・批判していくといいのでは




さくしょ「FOR ANTIQUE ENTHUSIASTー調度品に見合う建築とは。ー」

長く使われてきた調度品に見合う空間を住宅というスケールに落として、葉山を敷地に計画する。建築はその場所から生まれるものであり、場所のイメージを空間に落とし込むこと。行為から生まれる形、ものがどこにあるかという家具スケールからみる形、などから形態を作り上げる。
設計に使う調度品は2種類あり、持ち込まれるものと自分でデザインするもの(カーテン、絨毯、壁紙(葉山に咲いている花を使ってデザイン)、作り付けのタンス等ない要素)
調度品:長い時間かけて使われてきたものであり、それに見合う価値があるもの


質疑
調度品の情報が出てこないとそこからデザインするもクソもない
精密な図面をきっちり作った上で、周辺にどう空間がくるのかが一番知りたい

自分で選んだ調度品の価値基準は今の段階でどう持ってくるのか?
→人間の手仕事が見える、思いが感じ取れるところが自分はいいと思っている

自邸でなら私小説的に作れるが、仮想の施主を前提にしているなら、どうデザインコードで空間を生み出しているのかを知りたい
どう接続しうるかを提示しなければ

視界に入るもの、それと行動との関係、調度品の高さからからパースを書いた
それと調度品での何が変わるのか?
パースはアウトプットの素材だけではなく、デザインスタディとして何を書き込んでいくのか(何を選び、どういう順番で書くのか)のプロセスを整理していくべきポイント

なぜ調度品から考えたいと思ったのか
→近代的に評価されてきた白い箱に対して、最評価であるとは思えないところは自分の中にあって、それを当時も考えていた人もいるはず、その中で自分が一番いいと思えるところを持ってきたのが調度品

調度品、家具を建築の寿命の短いものとして設計するのは一般的であると思うが、昔の人は建築よりも長い間使われていたものがあって空間の輪郭を作っていった。ことを現代において評価し設計してくと思った

発展しそうなポイントは大量生産・機能主義に対して批判になる
コルビュジェ:人の居場所を定義し、それが現代においても図面の中に家具が書かれて居場所を提示している。この提案では、調度品に目を向けることで、空間の身体性を考察し直せるものになる
平等院鳳凰堂:内部は復元できているが、周りは全く再現されていないため、滑稽な状態にしか見えない。この提案では自分が選んでいるが、各時代の作られた価値基準を明確にしたものを持ってくることで、調度品とその周辺の要素との構成を考えることで、大量生産に関する批判が持ちうる空間を作れる設計になる

バナキュラーな敷地と調度品をパラレルに持ってくることはいいが、どこかで結びつく絵がないとダメ

この住宅が調度品と常にセットで存在するわけではなく、ものは移動する中である時間軸の断面でこの設計を取り組む、ということはどういうことになるのか
調度品が自立する空間とはどういうものになっていることなのか
生活から何から全ての生活が調度品から生まれていくべきなのか、それとも美術館のように鑑賞として存在するものなのか。の両極端の中でどう位置付けしていくのか




けーすけ「斜面地を編む小中学校」

熱海は山と海の間に市街地を形成している中で、小中学校を作ることでここに人を住まわす政策をとってきたが、少子高齢化により廃校に追いやられてきた。
今までは市街地の外(山の上)に建てられていた小中学校であるが、縮小する熱海市街地の中で、小中学校を統合して市街地の中に建てられるというのが、熱海にとって合理的な判断である。
今までの熱海らしい小中学校は斜面を登り登校する身体性であることを根拠に、傾斜地を編む小中学校を設計する。

擁壁は既存のものを使うが、新たに作ることはしないのか?
→基本的には既存のものをモニュメンタルに扱いたいので、新たに作ることはしない
 最小限に手を加えることが、斜面に馴染む建築が生まれるのではないかと考えている

無茶な提案であるがゆえに背景整理が必要。ここであるがゆえの小中学校の作り方があるべきなのでは

アノニマスな傾斜をランドスケープを指針とする、斜面を編むという言葉がいいが、どういうデザインプロセスを進めていくのか
→好きな風景を抽出し整理すると、階段が重要であることがわかったため、その中で熱海の中に存在する風景をサンプリングし計画していく

コンセプチュアルドローイングは書けているが、具体性が帯びていない
→階段の幅、蹴上などは法規上で守りながら設計する

これから設計条件になりうることを整理しなければダメだが、どう詰めていくのか
例えば、小中学校を作る空間エレメントを整理しながら構成を(それ自体も含めて)デザインする。その中で観光客が通るからこうデザインしようなど考えられそう

一日のスケジュールと地形の関係をパースで表現したほうがいい

具体的なデザインの意図・手法・表現を意識的に考えていかなければならないのでは
そうなると全体のイメージをどうするのか。集落とか、より地形を見せるものにするのか、空間の原型を意識する(コルビュジェ的な)とかとか




ちぃちゃん「時代を写しとる「工場公園」」

秩父では観光地化、観光客にとっての施設不足、都内からのインフラの整備不足などの問題から、巨大の観光施設が必要であると考え、閉ざされた存在である秩父セメント工場に道の駅要素に直して解放する提案。
建築的価値がある谷口吉郎設計のセメント工場は、設計された時代を写しとっている作品であるが、現状では機能や設備の変化から使われなくなった空間を生かして、工場の公園として計画する。
その中で、谷口吉郎の設計手法を読み解きながら、秩父の山・工場との関係や工場公園の人の入れ方などを通して、工場の立ち位置が変わる設計を行う。

設計する対象はどこ?
→全体で使われなくなったところを設計していくが、見学動線としての整備で終わるところもある

谷口建築の読み解きとそのデザイン手法は?
→谷口は敷地から見える武甲山が向かい合わせに立っていることを見て、建築として扱う資源を向き合う形で設計を始めた。そのため、山に垂直に主要施設を設計した。また、その垂直なものに対してさらに垂直なものを挿入して全体を構成している。
谷口が述べる工場公園の意味合いは?
→働く人に対して工場としての圧迫感がないもの、また実際の公園にいるかのように人びとが活動していくことを目指した

谷口さんが考えたランドスケープ的なところから、敷地内部の計画、そしてディテールを整理したものを、自分の設計手法まで飛躍させて考察できるから、まずは整理をするべき

谷口がデザインしたデザインリソースをした結果何がいいのか、例えばベルトコンベアーと平行だと何がいいのか
→見るだけの建物ではなく、セメントが生産されているプロセスがあることを、見せる
人が同じように歩くことで何がいいのか
→周辺環境とその役割との関係が点々として見せてプロセスを感じてもらいたい。その中で来た人にとってはまだ不明瞭
武甲山とセメント工場の対比関係の中で、谷口と同じように作っていくのか、それを逸脱していくのか

道の駅がどうなのかな、プログラムとしてはゆるい
セメントの動きがあるものと美術館的な順路があまりにも一致しすぎていて、道の駅をダイナミズムなしで設計できすぎている。
もう少し拘束力のある(相当考えなければいけない)機能を考えることで、積極的なコンバージョン計画になる
→道の駅と読んでいるが、既存のものとは全く違く空間にはなると思う。公園も同様に
公園もゆるい。もっと解かなければいけないもの(内装的なところで終わってしまうことではないもの)で計画していけば、積極的な提案になる
この街の人に対して、この街に来る人に対して、ここに働いている人に対して、など全て取り込んでしまえばいい

計画の軸となるものがないと進めていけないと思う




総評
山口陽登さん

まず大前提としてブラッシュアップするためのコメント、やり直す必要ない
また仮説としての空間を考える(こういう空間がいいのではをやってみる)とコンセプトを繋げていくやり方がいいのでは
形とコンセプトは応答関係にあるので、煮詰まったらコンセプトは置いといてアウトプットしてみて戻るを繰り返してみるといい

橋本圭央さん

充実したリサーチとシングルラインのデザインになってしまわないように
リサーチの段階でデザインを考察する(デザインリサーチ)ことを意識しながらやる
ワンアイディアで乗り切ることになりがちなので注意すること
トム・ヘネガンさんの名言として「箱は誰でも作れるが、ビューティフルムーブメントは誰しもが作れる訳ではない」
どういう視点持って自分が作っているのかを、添景を書き込みながら濃淡をつけていくことを意識する



山口さんと橋本さんのコメントはなるほどと思うことが多く、みんなも脳が刺激されたと思います。
提案の軸とこれからやるべきことがまとめられた講評会で、これを機にさらにステップアップしてほしいです。
提出まであと2か月を切りましたが、B4のみなさんは悔いが残らないようやり切ってほしいと思います!
がんばれ!!



M1 寺内

※2017/12/13にいくつか訂正を加えました

TOR06下高井戸 街歩き

こんにちは。11月23日(木)にTOR06の街歩きが行われました。今回は下高井戸です!

午前から強い雨が降り、どうなることかと思いましたが、午後からは晴天で秋も同時に感じられるものとなりました。
また、今回の街歩きは木曜日だったため参加してくださる方がいつもより少なかったのですが、橋本さん、大高さん、川尻さん、青井先生、フェイさん、そして殆どのM1、2が参加してくれました。ありがとうございます。

今回、下高井戸に着目したきっかけは、青井研のOBである石榑さんの10プラス1の記事で闇市が取り上げられていて、下高井戸に元々闇市として機能していたものが建物として残っている、ということから過去の断片みたいなものから何か見えてくるんじゃないか、、という直感的なところから始まりました。

街歩きでは、かつて下高井戸宿があった場所、全て都心部からの移転である寺が一列に立ち並ぶ場所、今昔マップで駅があるわけでもないのに一番最初に市街地化されてきた場所、駅前の商店街を見て回りました。事前の調べでは下高井戸についての資料が少なく、わからないことが多かったので、実際に見えてくるもの、街の人への聞き取りでわかってくることが多かったと思います。


街歩きマップ

下高井戸宿は甲州街道の二番目の宿場町だったのですが、寒村であったため、上高井戸宿と合宿の形態(1日〜15日下高井戸宿、15日〜月末上高井戸宿)をとっていたこと、半農半宿(農業と宿駅を行うこと)で生活を成り立たせていたことが特殊性として挙げられます。実際に街を歩いてみると、かつての宿場町の一筆と思われる範囲に大きな屋敷がいくつか見られました。これは屋根が連なり狭い路地が通されている千住宿(TOR02)とは違う現状でして、千住宿の一筆の間口が6~7間に対して、下高井戸宿は14間と倍の広さだったので、先行状態や人口流入の時期の違いが、現在の形態にも影響していると考えられます。(詳しいことは冊子出版をお楽しみに!)

また八軒立ち並ぶ寺は、栖岸院が武家の没落、市街の影響で1920年に麹町から移転してきたもので、そこから法照寺、浄見寺、託法寺、真教寺
関東大震災区画整理などの影響で栖岸院の伝手でこの場所に移ってきたということが、聞き取りでわかりました。


まだまだ06は始まったばかりなので、わからないことが多いのですが、今後は下高井戸宿のあった場所をもう少し詳しく見ていくことと、駅前市場(闇市があった場所)についての聞き取り、八軒並んだお寺の聞き取りをしていこうと思っています。


実は、今回は本当に資料が少なく青井先生も一度も降り立ったことがないということだったので、不安すぎて街歩きをする前に、一度行ってみようと思っていました。でも同期のこんちゃんに「見えてないものを見にいくのが街歩きでしょ。」と言われ、当日が初めての下高井戸となりました。結果的に多くの人の視点に助けられ、面白い内容が書けそうな予感はしています(笑)

この06は今、杉本、保川のM1三人が主体となって行なっていきます。心強い二人とのプロジェクトなので、楽しんで進めていきたいと思っております。


下高井戸居酒屋「爺」にて(橋下さんは帰られました、、、)





M1 保川

青井研究室 10周年記念 大OBOG会

今日は、青井哲人研究室10周年記念OBOG会(11月5日開催)についてご報告です!

6期生のOBOGが中心となって半年ほど構想に構想を重ねたこの会。
当日は、「サブゼミ大会」「10周年記念大OBOG会」の二部制で開催されました。
今回は、後半部門の「10周年記念大OBOG会」についてお話したいと思います。

10年に1度(今後次第!)のパーティということで、OBOGさん以外にも
青井研・青井先生・石榑先生に深い関わりのあるゲスト陣

市川紘司 伊藤暁 川尻大介 高木義典 辻本侑生 中島伸 中野豪
芳賀沼整 橋本純 初田香成 日埜直彦 松田達 光本直人 山岸剛
(50音順/敬称略)

という錚々たる面々にご集合いただき、大盛り上がりの夜でした。

また会の途中では、青井研新旧プロジェクトの報告として、
事前にOBOGと現役生で作成した各PJの概要PV(計11本!)の上映も。
これらのPVは今後青井研HPで公開するために準備中ですので、乞うご期待ください。

あと、現役生のみんなは立食中、ちゃんとゲスト陣+OBOGに自分の研究や研究室PJのアドバイスをもらって、
この会を次に生かそうとしていたし、ゲストの皆さまもそれに真摯に答えてくださいました。

OBOGさんの入念たる準備の末、とても充実した会だったと思います。

前半部門の「サブゼミ大会」についても、近日中に報告いたします!

M2 中井

2017年度 家具プロジェクト

報告が遅れてしまい申し訳ありません。
今年度の家具プロジェクト、通称《家具プロ》の報告です。
実は9月2日から4日にかけて施工しておりまして、実に2ヶ月がたってしまいました。

今年は新しいビッグサイズのプロッターがやってくるのと、使い勝手の悪さを改善すべく、
青井研入ってすぐ左手にある棚を製作しました。
入り口から研究室内への動線に配慮し、掃除用具、プロッター、コピー機、コピー用紙など研究室内の様々な備品を収納すること
が目的です。

B4それぞれの予定や古建築実習、卒業制作に影響を与えたくないという思いから
解体を8月25日にしておき、施工を9月4日に終えました。
とはいえ卒業制作は順調とは言えない日々が続いておりますが…。


それでは各過程を写真とともにご覧ください。



解体作業中の様子です。
今回は以前の棚の再編ができれば最高でしたが、さすがにすべて古材というのは寸法上できないので
使える部分は再利用して、過去の痕跡を残すことを心がけました。
なので解体もかなり丁寧な作業となりました。


ビスを取り外すのがとても大変でしたが、外す際にどのように取り付けられていたかを確認しつつ自分たちの設計に取り入れていきました。

一通り解体が終わった全景です。
壁の中に配線が通っているため木材が打ち込んであるのが分かります。
ここも設計中に苦労した点の一つですが
機械類を収納するだけではなく、実際に動かすため配線の順序まで考えて設計するのはとても勉強になりました。

大まかな配置は決まっていたのであとは形態がいかに合理性を持てるかというところで青井先生の
アドバイスを仰ぎ、最終図面に行き着きました。
今回はどのような空間にしたいというコンセプトを抜きに、思想を抜きに純粋に最小限の棚をデザインする
ことで解決を図るという家具の立ち方をしたため、模型はあまり作らず設計していきました。

このあり方、設計の態度ってなんかいいんですよね〜。
とふと思いますが、皆さんはどうでしょうか。
やはりどのようにして構成されるかの図が一番見たいのでしょうか。

ダイヤグラムみたいな図はないので最後のアクソメと板割りを載せておきます。


計画がおわり注文をし、受け取っている様子です。
今回もお世話になった佐久間木材さんありがとうございました。



設計図と実際の立ち上がりを確認しながらの作業ってめっちゃ楽しかったです。


作業の様子と完成に近づく様子です。
配線の位置と板の寸法が違うなどのトラブルもありましたが、みんなと協力して乗り切りました!

真面目な様子だけだとあれですね。
おちゃらけたところもどうぞ!

といってもこれくらいしかなかったです。すみません。笑


ビスの本数数えるのも大変でしたね。。


完成して2ヶ月たった様子がこちら。

本来上には備品が詰まったボックスが8つ入る予定でしたが、備品が重くて箱が耐えきれず。。
残念ながら取り付けることができませんでした。
今は卒計の敷地模型置き場と化しております。

使い勝手はなかなかよろしいようで、研究室メンバーそして青井先生という施主の願いを叶えた棚になったと思います!
設計から施工まで一連の流れを複数人で共有しながらやっていくという行為自体初めてで、貴重な経験になりました。

本来建築も設計から施工を経て完成に至り、その後の将来の姿まで設計者が関わるという姿が理想な気がしますが、
なかなかそうもいかないのでしょうか。難しいところです。

以上家具プロの報告でした!

追記:棚橋くんが綺麗な写真を撮っていたので追加します!

B4 さくしょー

2017年度 台湾調査 後半(西螺)

後半は西螺を8/15〜19の5日間で調査しました。
メンバーは前半の10人に加えて、西螺の歴史に詳しく、西螺の廃墟となってしまっている建物の管理などもされている楊さんと荘さん、その後度々台湾調査にてお世話になっている陳正哲先生と9月から陳先生の研究室に配属予定のライさんの4人が協力してくださいました。

西螺は濁水渓流域扇央部に位置する<内陸型河港都市>でした。市街地は河口から延平路という道に沿って形成され、東から西に向かって市街地が拡大して清朝時代にはすでに商業的にも軍事的にも戦略的な都市として栄えていました。
調査前の方針としてはこのような伝統都市を読み解くために建物の構法の変化や廟と祭祀圏などに注目してみようとのことでした。

西螺についたのは14日の夕方で、楊さん荘さんと合流し夕飯を食べた後、お二人から「西螺街的百年風華」というタイトルで西螺の歴史をレクチャーしていただきました。楊さんのレクチャーは大きく5つの章に分かれていて、これからの調査に向けての予備知識として西螺の市街地ができるまでの大きな流れを理解することができました。そして荘さんのレクチャーは日本植民地期の西螺に関する内容で、市街地の南に新しくつくられた新街とそれに関わった西螺の有力者について詳しく教えていただきました。

初日は楊さん荘さんに西螺を案内していただきました。西螺渓の堤防と浮覆地からスタートし、そのまま延平路を市街のできた時期が早いためあたまと呼ばれる東側からその後市街の拡大によってできたためしっぽと呼ばれている西側へ歩いていきながら、まちの様子を観察しながら廟や清朝時代の三合院、廃墟と化している洋館風の邸宅などを見ました。その後新街のほうへ向かい、旧街とは比べ物にならないくらい大きな敷地と建物を見ました。

西螺のまちを広域的に歩いた後ミーティングを行い、今回の調査の方針を決めました。最初の印象としては一見同じような街屋が並ぶ旧街のウラには清朝時代の三合院や廃墟と化した邸宅など、様々な建物が存在することでした。そのため対象を延平路沿いの古い市街地のほうに絞ることにしました。

次の日からは土地・建物の用途や所有関係に加え、街路に面している建物とその奥にある建物の関係性や構法に注目してインタビューを行うと同時にファサードの写真を撮りました。また建物前後の関係性のひとつの例として初日に案内していただいた街路沿いの連棟式の建物とその奥にある清朝時代の三合院を一体で実測させていただきました。

最初は道に面した建物しか観察できませんでしたが、聞き取りや奥に存在する建物の観察から3日目の夜のミーティングで延平路のしっぽ部分の成立に関する仮説が生まれました。
 

延平路のしっぽ部分は有力者たちが街路沿いに連棟式で街屋を建てて、その奥に(場合によっては前面よりも間口を大きく敷地を手に入れて)邸宅を構えていた。
また有力者同士の敷地は隣接せず、利用方法は正確にはわからないがスキマが存在していた。
市街地が拡大に伴ってその隙間を埋めるようなかたちで奥行きの狭い街屋が建てられていった。

次の日からはこの仮説を検討するために前日実測に入った街区をできるだけ詳細に調査してみようということで、有力者が所有している建物かつ外側から市区改正時だと思われる改築の痕跡が見て取れる食事処と狭い敷地に3つ縦に並んだ三合院を実測しました。
また延平路のあたま部分でも日干し煉瓦の壁が残る豆屋を実測しました。
 


最終日はしっぽ部分では初日に案内していただいた連棟式の建物と奥に残る洋館風の建物、頭部分では暗こう街の調査や街路に面する一階部分を会議所として開放しながら、アーティストのアトリエ兼住居として利用されている建物を実測しました。


私は台湾調査を通して、研究に対する考え方が変わり、新たな視点を得られました。

ただいま論文作成に向けてデータの整理とまとめをおこなっております。
正式な発表は来年の学会にて報告させていただきます。

B4 たけだ