2017/12/02 青井研卒計中間発表 @共用部

12月2日(土)に青井研恒例、ゲストをお呼びした卒計講評会が行われました。
ゲストは昨年に引き続き、橋本圭央さん(東京藝術大学美術学部建築科 非常勤講師)山口陽登さん(siinari建築設計事務所 主宰)のお二人。
自在画が卒計ブースに設営されてしまっていたので、今年は10階の共用部で。

B4はもちろん、M1,2の参加も多くいい講評会だったのではないでしょうか。
もちろん、ゲストの方のコメントがメインですが。
以下その内容ですが、たなっしーはあやさん、ちゃんまんはまりえさんに議事録を取ってもらいまして、書式が違うのはご了承ください。



たなっしー「名も無き建物と建築の関係からみる都市再生の再考」

・雑居ビル
・広場、オープンスペース
・設置階→家の機能が多様性をもって行われる
・人が集まって、話す、食べる

山:ガソスタ大屋根
  道路の延長線が建物に引き込まれる
  平面的に街のつくりが変化していく
  ①断面的な気づきがほしい
  ②平面的な気づき
  ③「住まう」を再定義すること
  ①〜③の繋がりが重要
  1階は店舗が向いているのでは?→なぜキャンセルするの?
 
た:店舗の1階はお金儲けの部分
  「住まう」、住居を考えると高円寺にはあらゆる機能が押し込まれている
  街のでき方→高円寺にあるもの、ここで使われることを想定
  
山:高円寺の街の魅力の路面店を否定しているのか?

た:高円寺でどうゆう住み方
  設置階の人とそれ以外の人への提案があるのでは

橋:高密度になっている、都市の居住性を内包する話をきちんとするべき
  コインランドリー→出会いの場、貧富の差も感じる
  設置階に再配置する意味→社会構造や住居性、ハブリッドなもの
  垂直方向の動線の考えは?
  垂直方向の動線計画
  
青:ボリューム+タワー
  2、3階をガラスの壁面にして、設置階との繋がり
  雑居ビルの状態から透明な設置階のあり方が面白いかもというイメージ

た:飲食店が多く並んでいる→ガラスのするのが難しいのではないか
  
橋:透明性を持ったボリューム
  道化されたプロセス

青:仮装論理としての設置階
  全部ないと見立ててみる
  見立てから生まれる設置階のスタディーをやってないのではないか

橋:見られたくない部分とその他の関係性
  ボコボコ
  路地みたいなもの

山:1階の平面図→みたことのない街の見方が生まれるかも
  棟ごとに考えることをやめてみる
  またがる→設置階かそうではない階の新しい風景

青:所有の論理、都市の論理
  都市の論理→断面的な分節

橋:アウトソーシングを簡単に使わない方がよい

青:具体的なアクティビティを考える




ちゃんまん「郷蔵−地域の核としての酒蔵−」

「酒蔵の近代化に対応した空間を生む(職業連関や地域のつながりを取り戻す?)提案。今後の産業がどうなっていくのかを空間的に出す」
プログラム:酒造りの展示化(メタファー)、宿泊施設(不要になった杜氏の現れ)、飲食店、米ぬかを再利用しレンガを成型(東北大学で研究中)

酒蔵を縮小して新しい機能を加えていくということではなく、空き蔵を利用。作業工程を整理してコンパクトに。

*どこが新しいのか?という疑問が必ず現れてしまう。

[提案]
①精米所を曳家→大通りのファサードを整える→<中庭1>ができる
②機関蔵(現在不使用)妻面が見える→エントランスホール的工場になる
③<中庭2>酒造りに必要な水の存在を強化
④酒蔵のグリッドを45度にふる→全体で感じさせない設計にする<中庭3?>

増築過程=コの字状に江戸〜明治〜大正にかけて増築している
→酒造の時代的な流れも含め、分かりやすいダイアグラム化すべし

中庭を広げる必要性はあるのか?
時計回りの酒造の工程が近代化によって変化しているから空間を改変するという説明にしてくれればわかる
図化(生産、滞在などのラインに分けてダイアグラム)しないとダメ
視覚主義的設計になっていてモダニスト的で場当たり的。それだけではないはず。

山口さん
陶器の金とじのような繊細な修繕(江戸時代からの酒蔵の工程歴史など)が酒蔵に現れてくるのが面白い
マスタープラン(改修計画)を避けるべきなのではないか?→結果的には大きく変わっていることになれば良い
「ダイナミックを緻密に避ける」





俊樹「広場庭モデル」

名古屋の車社会に適応させること=駐車場を建築化することによって、広場と庭の概念を書き換えるとともに、道や街との接続と、ハレとケの利用を考えながらも全体を計画する。
具体的な建物は、ケの場合は駐車場として機能し、ハレの場合はイベントを行う舞台装置の役割を果たす。断面構成は1Fは駐車場、2Fに住居を配置することで住まう街を前提にした提案

質疑
2階以上に住居を計画することはあるのか?
→2階が住居の庭になりつつ、客席の場として作用する風景が得られる

敷地の問題と選び方はクリア
ハレから構成を考えること、駐車場を残すことは良いが、日常(ケ)のセキュリティコントロールを考えたほうが良い

構成プログラムの決め方は?
仮想の道に対しての接続を意識している
その時広場としての庭と個人としての庭を繋げる

ケの時の話があまりにもないが、ハレの時からの建築を考えた時のケの状態を作るという話であっているか?
そうなるとハレからどうケが作られているかを提示しなければいけないのでは

なぜこの敷地?
平成元年に街が更新されてしまった時、一時は盛り上がったがイオンに人が持って行かれたこと、駅から商店街へ行く場所に中央分離帯によって分けられてしまい、賑わいがなくなった。
歯抜け街になってしまったが、むしろそれがポテンシャル
中心的周縁性になっていることをちゃんと説明するべき
シエナのカンポ広場を思い浮かぶ→広場の形が非日常の時の都市構造を変えることを実現している

商店街活性化するという案に聞こえてしまうが、そうではないこと、つまり今ある現状を生かした提案ということを説明するべき
立ち位置を明確にして行く(駐車場の扱い方など)




みきてぃ「Sense of wonder–チャイルドスケールの提案と雪ノ下小径空間への適応−」

子どもは突発的な行動を起こし、我々が想像しないようなルールを構築しながら生活している。これをチャイルドスケールと名付け、鎌倉の雪ノ下の敷地において設計を行う
全体計画としては、街区に公共施設を挿入することによって、街の中でも意味を書き換えることができる
しかし子どもだけの空間はあり得ないため、大人の視点と子どもの視点を重ね合わせ、空間を作る方法を提案する

質疑
ただ広い場所では鬼ごっこが起きるわけではなく、特定の空間が必要であるためにダイアグラムを作成して設計をする

一つひとつのアイディアが分散的であり、こじんまりしている。つまり全体としてのダイナミズムがない。もっと変なものが生まれるはず

現況の潜在性をこの提案ではどう捉えているのかも重要では

ランドアバウトの円の意味は?
→ただ入れてみただけになってしまっている。スタディの始まり
同心円の意味を考えなければいけない

作られる空間の行動、場所などが整理されていない
チャイルドスケールとチャイルドスケープを作ったほうがいい
チャイルドスケール同士、チャイルドスケールとチャイルドスケープを繋げるのが、子どもの行動であるなどを丁寧に考察して行くべき

美しい話で終わらせないように、セキュリティコントロールを提示する

「子ども」と一言で言うのは雑であり、対象年齢をはっきりさせる
→未就学児
排他的すぎでは?
→0~5歳を対象にするのはそこが一番成長していく中で重要であると思ったため

大人のスケールに成長した時に空間体験がどう変わるかを意識して、ラージスケールを挿入したほうがいいのではないのか

チャイルドスケールを用いることによって、多重化することへの意味は?
遊具だけが説明可能であるが、それは遊具であるため必要ないことでもあるが、、、
大人と子どもが同居する(多重化)意味がクリティカルに問われる

地元民のための空間を確保する必要があるのか?
どういうモチベーションがここの敷地に存在するのかが重要になる

アジャストしたことを感じることで、アジャストしていなかったことを経験させる
それは、大人にとってもいい経験になるのでは?

動的なところと単位なところ(mでええの?的なところ)を子どもから出発して多重化、ダイナミックにしていくと整理される
これを構築した時に「変な状態」を生み出して、それ自体を整理・批判していくといいのでは




さくしょ「FOR ANTIQUE ENTHUSIASTー調度品に見合う建築とは。ー」

長く使われてきた調度品に見合う空間を住宅というスケールに落として、葉山を敷地に計画する。建築はその場所から生まれるものであり、場所のイメージを空間に落とし込むこと。行為から生まれる形、ものがどこにあるかという家具スケールからみる形、などから形態を作り上げる。
設計に使う調度品は2種類あり、持ち込まれるものと自分でデザインするもの(カーテン、絨毯、壁紙(葉山に咲いている花を使ってデザイン)、作り付けのタンス等ない要素)
調度品:長い時間かけて使われてきたものであり、それに見合う価値があるもの


質疑
調度品の情報が出てこないとそこからデザインするもクソもない
精密な図面をきっちり作った上で、周辺にどう空間がくるのかが一番知りたい

自分で選んだ調度品の価値基準は今の段階でどう持ってくるのか?
→人間の手仕事が見える、思いが感じ取れるところが自分はいいと思っている

自邸でなら私小説的に作れるが、仮想の施主を前提にしているなら、どうデザインコードで空間を生み出しているのかを知りたい
どう接続しうるかを提示しなければ

視界に入るもの、それと行動との関係、調度品の高さからからパースを書いた
それと調度品での何が変わるのか?
パースはアウトプットの素材だけではなく、デザインスタディとして何を書き込んでいくのか(何を選び、どういう順番で書くのか)のプロセスを整理していくべきポイント

なぜ調度品から考えたいと思ったのか
→近代的に評価されてきた白い箱に対して、最評価であるとは思えないところは自分の中にあって、それを当時も考えていた人もいるはず、その中で自分が一番いいと思えるところを持ってきたのが調度品

調度品、家具を建築の寿命の短いものとして設計するのは一般的であると思うが、昔の人は建築よりも長い間使われていたものがあって空間の輪郭を作っていった。ことを現代において評価し設計してくと思った

発展しそうなポイントは大量生産・機能主義に対して批判になる
コルビュジェ:人の居場所を定義し、それが現代においても図面の中に家具が書かれて居場所を提示している。この提案では、調度品に目を向けることで、空間の身体性を考察し直せるものになる
平等院鳳凰堂:内部は復元できているが、周りは全く再現されていないため、滑稽な状態にしか見えない。この提案では自分が選んでいるが、各時代の作られた価値基準を明確にしたものを持ってくることで、調度品とその周辺の要素との構成を考えることで、大量生産に関する批判が持ちうる空間を作れる設計になる

バナキュラーな敷地と調度品をパラレルに持ってくることはいいが、どこかで結びつく絵がないとダメ

この住宅が調度品と常にセットで存在するわけではなく、ものは移動する中である時間軸の断面でこの設計を取り組む、ということはどういうことになるのか
調度品が自立する空間とはどういうものになっていることなのか
生活から何から全ての生活が調度品から生まれていくべきなのか、それとも美術館のように鑑賞として存在するものなのか。の両極端の中でどう位置付けしていくのか




けーすけ「斜面地を編む小中学校」

熱海は山と海の間に市街地を形成している中で、小中学校を作ることでここに人を住まわす政策をとってきたが、少子高齢化により廃校に追いやられてきた。
今までは市街地の外(山の上)に建てられていた小中学校であるが、縮小する熱海市街地の中で、小中学校を統合して市街地の中に建てられるというのが、熱海にとって合理的な判断である。
今までの熱海らしい小中学校は斜面を登り登校する身体性であることを根拠に、傾斜地を編む小中学校を設計する。

擁壁は既存のものを使うが、新たに作ることはしないのか?
→基本的には既存のものをモニュメンタルに扱いたいので、新たに作ることはしない
 最小限に手を加えることが、斜面に馴染む建築が生まれるのではないかと考えている

無茶な提案であるがゆえに背景整理が必要。ここであるがゆえの小中学校の作り方があるべきなのでは

アノニマスな傾斜をランドスケープを指針とする、斜面を編むという言葉がいいが、どういうデザインプロセスを進めていくのか
→好きな風景を抽出し整理すると、階段が重要であることがわかったため、その中で熱海の中に存在する風景をサンプリングし計画していく

コンセプチュアルドローイングは書けているが、具体性が帯びていない
→階段の幅、蹴上などは法規上で守りながら設計する

これから設計条件になりうることを整理しなければダメだが、どう詰めていくのか
例えば、小中学校を作る空間エレメントを整理しながら構成を(それ自体も含めて)デザインする。その中で観光客が通るからこうデザインしようなど考えられそう

一日のスケジュールと地形の関係をパースで表現したほうがいい

具体的なデザインの意図・手法・表現を意識的に考えていかなければならないのでは
そうなると全体のイメージをどうするのか。集落とか、より地形を見せるものにするのか、空間の原型を意識する(コルビュジェ的な)とかとか




ちぃちゃん「時代を写しとる「工場公園」」

秩父では観光地化、観光客にとっての施設不足、都内からのインフラの整備不足などの問題から、巨大の観光施設が必要であると考え、閉ざされた存在である秩父セメント工場に道の駅要素に直して解放する提案。
建築的価値がある谷口吉郎設計のセメント工場は、設計された時代を写しとっている作品であるが、現状では機能や設備の変化から使われなくなった空間を生かして、工場の公園として計画する。
その中で、谷口吉郎の設計手法を読み解きながら、秩父の山・工場との関係や工場公園の人の入れ方などを通して、工場の立ち位置が変わる設計を行う。

設計する対象はどこ?
→全体で使われなくなったところを設計していくが、見学動線としての整備で終わるところもある

谷口建築の読み解きとそのデザイン手法は?
→谷口は敷地から見える武甲山が向かい合わせに立っていることを見て、建築として扱う資源を向き合う形で設計を始めた。そのため、山に垂直に主要施設を設計した。また、その垂直なものに対してさらに垂直なものを挿入して全体を構成している。
谷口が述べる工場公園の意味合いは?
→働く人に対して工場としての圧迫感がないもの、また実際の公園にいるかのように人びとが活動していくことを目指した

谷口さんが考えたランドスケープ的なところから、敷地内部の計画、そしてディテールを整理したものを、自分の設計手法まで飛躍させて考察できるから、まずは整理をするべき

谷口がデザインしたデザインリソースをした結果何がいいのか、例えばベルトコンベアーと平行だと何がいいのか
→見るだけの建物ではなく、セメントが生産されているプロセスがあることを、見せる
人が同じように歩くことで何がいいのか
→周辺環境とその役割との関係が点々として見せてプロセスを感じてもらいたい。その中で来た人にとってはまだ不明瞭
武甲山とセメント工場の対比関係の中で、谷口と同じように作っていくのか、それを逸脱していくのか

道の駅がどうなのかな、プログラムとしてはゆるい
セメントの動きがあるものと美術館的な順路があまりにも一致しすぎていて、道の駅をダイナミズムなしで設計できすぎている。
もう少し拘束力のある(相当考えなければいけない)機能を考えることで、積極的なコンバージョン計画になる
→道の駅と読んでいるが、既存のものとは全く違く空間にはなると思う。公園も同様に
公園もゆるい。もっと解かなければいけないもの(内装的なところで終わってしまうことではないもの)で計画していけば、積極的な提案になる
この街の人に対して、この街に来る人に対して、ここに働いている人に対して、など全て取り込んでしまえばいい

計画の軸となるものがないと進めていけないと思う




総評
山口陽登さん

まず大前提としてブラッシュアップするためのコメント、やり直す必要ない
また仮説としての空間を考える(こういう空間がいいのではをやってみる)とコンセプトを繋げていくやり方がいいのでは
形とコンセプトは応答関係にあるので、煮詰まったらコンセプトは置いといてアウトプットしてみて戻るを繰り返してみるといい

橋本圭央さん

充実したリサーチとシングルラインのデザインになってしまわないように
リサーチの段階でデザインを考察する(デザインリサーチ)ことを意識しながらやる
ワンアイディアで乗り切ることになりがちなので注意すること
トム・ヘネガンさんの名言として「箱は誰でも作れるが、ビューティフルムーブメントは誰しもが作れる訳ではない」
どういう視点持って自分が作っているのかを、添景を書き込みながら濃淡をつけていくことを意識する



山口さんと橋本さんのコメントはなるほどと思うことが多く、みんなも脳が刺激されたと思います。
提案の軸とこれからやるべきことがまとめられた講評会で、これを機にさらにステップアップしてほしいです。
提出まであと2か月を切りましたが、B4のみなさんは悔いが残らないようやり切ってほしいと思います!
がんばれ!!



M1 寺内

※2017/12/13にいくつか訂正を加えました