2017年度 台湾調査 後半(西螺)

後半は西螺を8/15〜19の5日間で調査しました。
メンバーは前半の10人に加えて、西螺の歴史に詳しく、西螺の廃墟となってしまっている建物の管理などもされている楊さんと荘さん、その後度々台湾調査にてお世話になっている陳正哲先生と9月から陳先生の研究室に配属予定のライさんの4人が協力してくださいました。

西螺は濁水渓流域扇央部に位置する<内陸型河港都市>でした。市街地は河口から延平路という道に沿って形成され、東から西に向かって市街地が拡大して清朝時代にはすでに商業的にも軍事的にも戦略的な都市として栄えていました。
調査前の方針としてはこのような伝統都市を読み解くために建物の構法の変化や廟と祭祀圏などに注目してみようとのことでした。

西螺についたのは14日の夕方で、楊さん荘さんと合流し夕飯を食べた後、お二人から「西螺街的百年風華」というタイトルで西螺の歴史をレクチャーしていただきました。楊さんのレクチャーは大きく5つの章に分かれていて、これからの調査に向けての予備知識として西螺の市街地ができるまでの大きな流れを理解することができました。そして荘さんのレクチャーは日本植民地期の西螺に関する内容で、市街地の南に新しくつくられた新街とそれに関わった西螺の有力者について詳しく教えていただきました。

初日は楊さん荘さんに西螺を案内していただきました。西螺渓の堤防と浮覆地からスタートし、そのまま延平路を市街のできた時期が早いためあたまと呼ばれる東側からその後市街の拡大によってできたためしっぽと呼ばれている西側へ歩いていきながら、まちの様子を観察しながら廟や清朝時代の三合院、廃墟と化している洋館風の邸宅などを見ました。その後新街のほうへ向かい、旧街とは比べ物にならないくらい大きな敷地と建物を見ました。

西螺のまちを広域的に歩いた後ミーティングを行い、今回の調査の方針を決めました。最初の印象としては一見同じような街屋が並ぶ旧街のウラには清朝時代の三合院や廃墟と化した邸宅など、様々な建物が存在することでした。そのため対象を延平路沿いの古い市街地のほうに絞ることにしました。

次の日からは土地・建物の用途や所有関係に加え、街路に面している建物とその奥にある建物の関係性や構法に注目してインタビューを行うと同時にファサードの写真を撮りました。また建物前後の関係性のひとつの例として初日に案内していただいた街路沿いの連棟式の建物とその奥にある清朝時代の三合院を一体で実測させていただきました。

最初は道に面した建物しか観察できませんでしたが、聞き取りや奥に存在する建物の観察から3日目の夜のミーティングで延平路のしっぽ部分の成立に関する仮説が生まれました。
 

延平路のしっぽ部分は有力者たちが街路沿いに連棟式で街屋を建てて、その奥に(場合によっては前面よりも間口を大きく敷地を手に入れて)邸宅を構えていた。
また有力者同士の敷地は隣接せず、利用方法は正確にはわからないがスキマが存在していた。
市街地が拡大に伴ってその隙間を埋めるようなかたちで奥行きの狭い街屋が建てられていった。

次の日からはこの仮説を検討するために前日実測に入った街区をできるだけ詳細に調査してみようということで、有力者が所有している建物かつ外側から市区改正時だと思われる改築の痕跡が見て取れる食事処と狭い敷地に3つ縦に並んだ三合院を実測しました。
また延平路のあたま部分でも日干し煉瓦の壁が残る豆屋を実測しました。
 


最終日はしっぽ部分では初日に案内していただいた連棟式の建物と奥に残る洋館風の建物、頭部分では暗こう街の調査や街路に面する一階部分を会議所として開放しながら、アーティストのアトリエ兼住居として利用されている建物を実測しました。


私は台湾調査を通して、研究に対する考え方が変わり、新たな視点を得られました。

ただいま論文作成に向けてデータの整理とまとめをおこなっております。
正式な発表は来年の学会にて報告させていただきます。

B4 たけだ