読書ゼミ01:『戦後建築論ノート(布野修司/1981)』

■第1回/5月13日

『戦後建築論ノート(布野修司/1981)』から「第1章:建築の解体ー建築における1960年代ー」。1960年代に対してかなり明確な問題定義をしている一冊で、初回にふさわしい一冊。
布野は〈繁栄の60年代〉に対して、執筆当時の状況を「貧困化しつつある」と指摘する。それは量的/質的/経済的なものが含まれるが、著者が特に問題視するのは経験的/文化的な「貧困」であるように思われる。その飢えを豊かさによって克服することではなく、その飢えを引き起こした〈建築における60年代〉に対する根底的な批判を提示する。



この第1章では以下の3つの大きな視点を示している。

①「商品としての風景」:民間企業/行政/居住者が三位一体となって均質化していく風景
建物の規模や形態がほぼ法・制度と経済原理によって決定されること、そのデザインを構成するのが工場生産される部品であることが、都市が均質化していく要因であると示す。60年代末〜70年代にかけての様々なデザイン・サーヴェイや風景をめぐる議論の背景には、「この均質化しつつある今日の風景を誘導しているものこそ近代建築を支えてきた理念にほかならないのではないか」という懐疑があった。


②「建築の解体」:社会的総空間の商品化を正当化したメタボリズム
60年代に噴出した近代建築批判は次第に建築家たちの思考と作業を次第に拡散してゆく。その中でメタボリズムは機能主義的方法を前提としつつ近代建築を正当的に乗り越える構えをとったものであること、そしてその主観的な意図に関わらず、社会的総空間の商品化を正当化/合理化した点において、60年代の建築の支配的イデオロギーになり得た。


③「諸神話の崩壊」:建設業設計組織の台頭と建築家の職能問題
大阪万博・沖縄海洋博などにおける一連のアーバンデザインが失敗に終わり、現実の都市開発の中でも国家からと住民からとの挟撃にあい、建築家の都市論の無力さが露呈する。一方、建設業設計組織はその組織力・技術力をもって時代の主役へと押し上げられ、建築家の存在意義がその根本から問われることになった。


これら3つの異なる視点は深いところで共鳴し合っている。すなわちこれら建築の工業化の根幹にあるものが近代建築の理念そのものであるという事実である。このことが当時(あるいは今日まで)の建築家たちを苦しめる。メタボリズムや部品化・モジュロールの研究など、工業化に乗っかるような志向性のものですら現実社会ではより合理的なかたちで追い越されてゆく。近代建築の歪みが様々なレベルで噴出し始め、近代建築批判が巻き起こるのがこの1960年代なのである。



思えば今日我々が議論している都市の問題や建築家の職能問題は、既にこのころから現前としてあり続けているのだ。やはり現代はこの時代と直結していることを意識せざるを得ない。今回読んだ範囲では著者自身の主張や提案はあまり明記されていないが、体系立てて論理的に書かれているので非常に読みやすく、この時代の状況を整理・把握するにはぴったりな文章であった。



M2 miyachi (blogより転載:http://d.hatena.ne.jp/miyachikunihiko/