トウキョウ建築コレクション + 速度と時間のスピードの話。



プロジェクト展座談会。修士論文公開討論会

トウキョウ建築コレクションのプロジェクト展と修士論文展を聞きに行った。青井研究室からはM2の宮地さんが修士論文討論会に出場。3日間連続でプレゼンと討論を聞き、夜は出展者と飲みに行き議論した。
かなり刺激を受けたし、思うことがいろいろあった。来年出展者としてその思いを果たします。必ず。イベント全体に関わる話ではないが、修士論文討論会で出た議論を少し紹介。

「速度」の話と「時間のスピードは均質ではない」という話。討論会の第一部『鉄道施設と先行都市の重合・対立・同化 〜鉄道の形態決定条件からみる東京論序説〜』(青井哲人研究室・宮地国彦)・『パトリック・ゲデスによるインド バローダBarodaにおける都市計画に関する研究 −保存的外科手術の実践と定着−』(布野修司研究室・鮫島拓)の2つの論文で議論になったことだ。
「速度」20世紀以降速度の問題が建築に持ち込まれるが、都市においても速度の問題をきちんと扱うべきであるということ。飛行機・高速道路・新幹線…が発達し、物流は極めて発達した。また、それが都市の変化を速くしたのは事実である。2つの論文で言えば、ゲデスの都市計画の中にはクルドサックを通り抜けできるようにする計画があるが、まっすぐ通り抜けるのではなく雁行させながらオープンスペースをつくっている。ゲデスは都市計画を持ち込みながらも、スピードを止めようとしていたともいえる。銀座ではバルツァーの貫通計画は反対され実現されなかったが、神田においてはグリッド状の先行都市を切断するように鉄道が敷かれている。市場を街の生業としていた神田が、北は秋葉原まで、南は新橋まで来ていた鉄道の物流能力を高く評価し受け入れたといえる。形が生まれる理由の1つに「速度」を考える必要がある。
「時間のスピードは均質ではない」時間はある一定の世界の中では共有されているがゆえに、つねに均質で平等であるように感じられる。しかし、100年前と50年前と現在を同等に扱うのは厳しい。特に変化を時間的(歴史的)に捉えようとする都市史においては、時間のスピードがその時代によって違うことをきちんと認識した上で考えなければならない。時間をもっと考えなければと感じるが・・・「時間」は難しい。

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東京でよく見かけるヴォリュームの面取りは速度に対応した建築の形と言えるだろうし、戦後多くの街区が角切りされたのも速度への対応の痕跡である。


プロジェクト展で知り合った布野研軍団。出会った次の日に築地から新橋まで歩きました。こいつらかなり面白いです。

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