M2修士論文発表

久々の更新となってしまいました、、、
空いてしまった間にB4の卒業設計・論文提出、ジョージさんの博士課程の論文提出、M2の修士論文提出、そして卒業式などなど、
大イベントが沢山ありました。その中でも今回は、2月17日(金)に行われたM2の修士論文の発表について書きたいと思います。



小見山滉平
『大宮駅東口(旧中山道大宮宿)における都市組織の変容ー短冊地割の改変、土地の細分化、大規模店舗の進出ー』

一般的な宿場町の近代における変容パターンは短冊状の地割形態は残り続ける。しかし大宮宿の近代の変容というのはかなり異なっている。
その特異というものを、都市構造の変化、短冊状の地割細分化のパターン、大規模店舗の進出方法などによって分析していく。

・田村先生
 地割の細分化されるところと統合されるところの違いの要因をどう考えるのか。

・山本先生
 建築の規模、道路の幅員、法律が関係しているが、市街地復興にはどのように関係がしているのか。道路の幅員とはどういうものなのか。
 法律ではどのように扱われているのか。西武の従前と向後でどのように規模が違うのか。




祐川牧子
リージョナリズムの表現と議論 ー1970~90年代の公共建築の設計競技を通してー』

今日の建築界では地域性の建築化が探求されているが、理論と実践のギャップが見られる。
そこで近代日本のコンペ1970-90年代に着目し地域性の建築化がどのように要求され、それに対して応募者はどのように応え、
審査員は何を議論されてきたのかを分析し、時代的に特徴を明らかにしていく。

・大河内先生
 最近の公共施設のコンペでの地場産材のを要項に入れてしまう。このようなところをどのように受け入れているのか。
 必ずローカルアーキテクトと組まなければならない。それはどのような利点になっている のか。名護以降の地域性の建築の分析が弱い。

・田中先生
 名護市庁舎の分析の段階を詳しく地権がどのように動いているのか。




関根薫
『RCラーメン構造の表現上の扱いに見る村野藤吾の多元的設計手法』
 ★トウキョウ建築コレクション 川添善行賞

ある単一の理論で建物全体を作り上げるモダニスト達を「一元的設計手法」と定義すると、様々な建築の要求を同一に扱い共存させる村野藤吾を「多元的設計手法」と定義できる。村野は他のモダニストたちと異なっていたと考えられる。それらを明らかにするために、建築を統合する村野の「判断」を観察していき、建築全体を貫く論理である構造のRCラーメンフレームに着目することとする。


・大河内先生  
 第6章に判断の基準となっている思想や倫理はどのようになっているのかを書くべき。

・門脇先生 
 大きな思想でしか語られていなく、建築を統合するためにエレメントを選ぶ村野の細かい判断は?
 村野の価値観をどのように考えているのか。

・小林先生
 村野は日生位劇場のビスについてはどのように考えているのか




門間翔太
関東大震災以後の復旧復興における〈初期過程〉のマネジメント−応急仮設住宅と基盤整備の関係に着目してー』

災害時の復旧復興におけるマネジメントは歴史的に見ると、バッラク令段階、建築基準法 と災害救助法の制定、災害救助法の運用拡張の3フェーズに分けて考えられる。これらを 分析していくことで、各フェーズでどのように移行してきたのかを示すことができる。

・田村先生
  基盤整備事業がすべての被災地で行われていなかった。一部だけが区画整理を行われてい た。行われていたところと行われなかったところをどのよ
 うに扱ったのか。

・山本先生
 地震に伴う退化、自然災害による退化だけでなく、雲仙・普賢岳のように広げて研究をし
 ようと思ったのか。災害における枠組みをどのように決めたのか。




弓削多広貴
『1960年代後半から70年代における建築思想としてのデザイン・サーヴェイ ー「戦 後」の言説と取り組みの系譜に着目して』
 ★トウキョウ建築コレクション発表

デザインサーヴェイとは1960年代後半から70年代にかけて取り組まれた都市の調査である。これらの運動は近代再評価されているが、
それらに含まれる独特の戦後思想が視野から省かれていると考える。戦後史を踏まえた上で社会的背景を整理し、1960-1970にかけて行われたデザインサーヴェイにおける思想的制約を考察し、特徴・差異を分析していくことを目的とする。


・門脇先生
 研究の枠組みとして、見取り図があって各デザインサーヴェイが位置付けられている。第 3章と4章がエッセイ的なところが気になる。分析方法はどう
 なっているのか。

・大河内先生 
 デザイン・ザーヴェイが沈静化していってしまうのは何故か。衰退していく中で吉阪らが進めていったのは、どのような方向性で行ったのか。

・園田先生
 海外からの社会学や、戦前の文化人類学などの、大きな文化のでの枠組みでのデザイン・
 サーヴェイは何故見なかったのか。



M2、5人が無事に修士論文を提出することができました。

私は一年間のゼミを通して先輩方の修論を聞いてきたわけですが、 最初の何ヶ月間は何の研究をしているのか理解が中々出来ず、
聞きなれない言葉を整理するだけで精一杯でした。やっと理解してきて面白くなってきたときにはもう提出前、、自分の理解力の無さを恨みました。

自分は何に興味があるのか、何を目指しているのか、そのための方法は何のか。字にしてしまえば当たり前に見えてしまうけれど、これらをきちんと整理して人に伝えるということは、とても難しいことだと私も卒業設計を通じて学びました。 それをM2の先輩方はきちんと分かりやすく述べていてさすがだなと 発表している姿を見て改めて思いました。



M2の先輩を見送れるのは嬉しいことですが、やはり寂しい気持ちの方が大きいです。
こみさんの徹夜明けのおばさん具合だったり、門間さんの強烈な目力だったり、すけさんの可愛い一人遊び、かおるさんの面倒見の良さ、
弓削さんの苦笑いもできないほどの面白くないネタ、、、色んなところで、M2の存在はとっても大きかったです。
研究室の雰囲気もガラッと変わり、何か物足りない気がします。



4月に入り、みなさんの周りにも変化の一つや二つはあると思います。
今まで当たり前に目にしていた人がいなくなったり、責任を持つ仕事が出来たり、新たな出会いだったり、、
私は春の暖かいようで孤独なこの空気について行くことが苦手です。
だけど、M2のみなさんやジョージさん、そしてIAUDに行ってしまう同期のしょーたろとなおとが
新しい環境に身を置くことを考えると、慣れ親しんだ場所にとどまる私はなおさら頑張らないとなあ、と思います。


なんだか話が逸れてしまいましたが、M2の皆さん本当にお疲れ様でした。
そして社会に出て輝いてください!




B4保川