2016年度卒業設計中間報告会@自在画室

遅ればせながら、、、先日、今年も学部4年生の卒業設計提出に向けて外部から講師をお呼びして、中間報告会が開かれました!

今回は山口陽登さんと橋本圭央さんのお二方にお越し頂き、エスキスしていただきました。
B4各々大変鋭く有意義なコメントをもらっていたので、以下大まかな概要をあげておきます。

上川 正太郎「#shinjuku」

[発表]

新宿という超都市に島のように浮かび上がってくる新宿駅を舞台に、個人の持つ都市のイメージによって都市空間を形づくる提案。
新宿駅と新宿という都市の境界を視覚化し、その壁面にインスタグラムのようなSNSの情報を表示させることで不特定多数のイメージを浮かび上がらせ、それによって都市空間が特徴付けていく。(赤瀬川原平の「宇宙の缶詰」理論)
「駅」という都市の中でも異質な空間と「新宿」という掴みづらい都市のあやふやな関係性を切断、接続することを通して再構築する。

[質疑]

・内側のデザインはわかったが、外側のファサードはどうするのか。
・今の時代において磯崎新の超都市を考える必要性。
新宿駅が迷宮的でイメージがつかみにくいという混沌としているというイメージが新宿を特徴付けているとは言えないか。
赤瀬川原平の宇宙の缶詰は切断というよりも内包という役割だと感じるが、どう同じ行為だと考えるか。
・新しいイメージの境界というのはどこに生まれるのだろうか。
・提案にボリュームを感じないのだが、商業床と規定している厚みは一体何になると言えるか。
・建築を建てるというよりも新宿駅をリノベーションするという意識をもう少し持ってみたらどうか。
・回遊性の話は面白いと思った。新宿駅には4面ないし多面あって、それを角を曲がるごとにイメージが得られるという感覚には共感を得られる。
・イメージの生産ということを考えて、これによってどう新宿が変わりうるか。
スマホやインスタグラムの情報の持つ虚構性をしっかり説明できるようにするべき。リテラルなものと現実の虚構性は視覚情報だけでは体験できない。(新宿のホストの髪型は真正面から見るとすごいが、真横から見るとピッタンコになってる。)


保川 あづみ「忘却の想起」

[発表]

転校が多かった「私」にとって向ヶ丘遊園のおばあちゃんの家は唯一確実な空間だったが、祖父母が死ぬことで空間の記憶もトラウマに変化する。
そういった記憶をいかに忘却するか。そのための空間をつくる。
様々ある忘却のタイプを可視化し、それを形態に取り入れていく。

[質疑]

・忘却と想起の同時性を一つのデザイン言語として構築したいということ?
・記憶の継承をテーマとする作品は最近多いが、あえて記憶を脱構築して家というものも脱構築してそれを新しいものに活かす。そこにものすごく可能性を感じるが、人に共有するためのデフォルメ(異化)の仕方がまだまだ弱い。
・ある物的なエレメントと人間の行為が重なった時に何かが認知され、記憶への遡行が起こるというようなことをサンプリングしていく。
・忘却という言葉がものすごく難しい。忘却と想起という言葉の関係がわかりにくい。それはパラレルなものなのか。言葉の精度を上げていかないと。
・想起した時に初めて忘却が生まれている。
・これまである瞬間のレリーフを引用して記号集積をやる作品は多かったけど、忘却と想起が入れ混ぜになったものは空間でしか作れないような気がする。
一神教の誕生と似ている。神というものを偶像(記号)なしにそれを空間で表現しなければならない。建築的問題の革命と捉えることもできる。(伝わりにくい。。。)

大山 直人「TOKYO IMMIGRATION 2050」

[発表]

これまで生まれてきたエスニックタウンが、2050年にどうなるかという思考実験。
将来的に日本の総人口の10%が移民になったと想定し、
その時、現況のエスニックタウン(横浜 ET1.0、新大久保 ET2.0、西葛西 ET3.0)がどう変化し、
新たにどんなエスニックタウン(ET4.0)が生まれるか。
その変化に耐えうる建築空間の提案。

[質疑]

・ET1.0-ET4.0は自分で考えた?ET4.0はどういう定義?
・この未来の仮説はどう立てた?
–日本政府も10%増えた際どうするかと想定していたりする。こういったことを根拠に考えた。
・1.0-2.0はhyperだけど3.0がhyperでないのはなぜ?
–1.0、2.0は大資本が関わり大きな変化が見込まれるが、3.0ではそれに比較してもう少し静かな変化があると想定している。
・変化の設定が予定調和的である感じを受ける。日本人が想定外もしなかった移民の動きを想定した方が良い気がする。
・今後はどう進めていく?URBAN-DESIGN的?ARCHITECT的?
・設計 / 計画の解像度が現況として荒すぎる。もっと目線レベルでのエリアリサーチをかけるべきでは。

寺内 達也「キャンパスの更新–ホームセンターの介入–」

[発表]

日常的にものづくりという行為が普及していかない現状がある反面3Dプリンターなどの新技術の発達が見られる。
身近にものづくりのきっかけが溢れていることに着目し、
ホームセンター(技術・造園)を明治大学(理工・農)に地域に開きながら挿入することでものづくりを日常的なもの改変していく提案。

[質疑]

・平米の選定は考えている?
–2000平米くらい。ペット用品なども取り扱うのでそれくらいが良いのではないかと考えて選定した。
・ここに入れる工房的空間には、ホームセンターが持つ特徴のような道に接道しているとか、搬入口を考えるとか、そういったことは本当に必要なのか?
・なぜ大学なのか?
–大学にもホームセンターの機能が欠けていると考える。。。。
・ホームセンターには大まかに技術的な商品エリアと造園的な商品エリアが存在していて、それが明治大学生田校舎の理工学部農学部という構図に合致すると捉えられる。
・ものづくりの工程を構造化してそれを配置していく計画を考えるべきではないか。

杉本 まり絵「漂う暮らし」

[発表]

廃駅になった東高島駅にある使われず残ってしまっているレールがある。
隣接して建っているマーケットと開発を擦り合わせながらレールの活用方法を考え、
日常的に住空間を可変させていけるような、コンテナをレール上で自由に移動させながら生活してくような、新たなライフスタイルを考える。
そこに住まう人間の生活と建築形態の柔軟な関わり合いを構築し、新しい都市居住のあり方の提案する。

[質疑]

・コンテナはどう動くのか?
–コンテナ自体に動力が付いている。
・旅客化とはどういうこと
–品川、羽田、横浜を往来できるポテンシャルを持った廃線になっている。
・居住するということはどういうこと?
–「家」というプログラムでは生きていく上で必要な機能を規定できないことが本来的なテーマとなっている。
・コンテナの持つ居住性とは一体どういったものだろうか。また動くということはどういうことか。
・フレキシビリティが高まることで生まれる最適解をうまく説明できるようにしたい。フレキシビリティ自体が高まることを目的化するという話ではないはず。
・ある魅力的なライフスタイルを実現しつつ、事業として成立するような計画性を達成しているということを共有できると良い。
・このシステムを将棋のように例えると、条里的空間がここには広がっていると捉えて、一つ一つの駒に意味があって、その駒の動きによって我々はここで生活することができる。その条里的な組み合わせが意味生を帯びたり、変化するという話をしないといけない。

今 進太郎「無用階段–09」

[発表]

ものは意味を持って生まれてくるが、それを失うと放棄されて捨てられてしまう。
しかしものは形が残っている限り、転用可能性を有していて、価値を維持し続けることができる。
赤瀬川原平の『超芸術トマソン』の「無用階段-09」を題材に、写真から得られる情報から、
そこに起こった過去の出来事を推測、復原し、そのトマソンを読み替え、使いながら暮らすことを提案する。

[質疑]

・分析プロセスの話はリアリティを持って聞けて面白い。
・なぜそこまでして階段を使いながら暮らしたいのか?
トマソンを部分ではなく、初めて全体のコンテクストの中で対峙することの建築的視座をどう新しいものとして位置付けるか。
・部分で考えてはダメなのか?それらをつなげて考えようとするから全体の話になってしまうが、(写真情報から)平面を構築していくまでのプロセスが素晴らしいと思う。無用の長物に有用性を重ねていくことで、それまでのトマソンの中にトマソンじゃない側面が見えてくるようになる。無用階段の持つ三重の無用性が三重の有用性に置き換えるように再構築するという行為が、ただサンプリングしているだけのように見えて、再現性の問題に変わっていたりする。
トマソンをいくつかケースとして取り扱うのが良いのでは。
・表層から見える深度がある。
トマソンをさらに生み出す提案になるのか?トマソンの有用性を打ち出す提案になるのか?
トマソンは部分的なコンテクストの書き換えによってエレメントだけが遊離した状態で次々と生み出されたもの。その人がその時扱ったコンテクスト以外のものに関しては極めて無意識だった。残されたものには意味があるわけではなくて、あっても困らないってだけのものになったという状態に置き去りになっている。そういうものにある種の関心と愛着を抱く今の感覚とは今後どう向き合っていくのが良いか。

以上。概要でした。

僕からの簡単な印象ですが、
どのテーマも独自性を持っていて、期待感が高い、
、、、反面、自分がそこで扱っている言葉の意味や内容について整理がつかず、話をより複雑にしてしまっているような印象を受けるものがほとんどだったような気がします。
山口陽登さんの話の論理立てから見えてくる齟齬の指摘、言葉の中から連想される建築的な想像力と
橋本圭央さんの一つの話に対する多角的な視点の構築、話の本筋を見極めそれを別の言語や回路によって発展させていく力は、
僕も含め大変勉強になる部分が多かったように感じます。
後の飲み会も非常に有意義で楽しい時間でした。(途中B4そっちのけで話ふけってしまいすみません。。。)
とにかく最後、卒計に向かって少しでも自分の考えが相手に伝わるように、
論理構築、形態理論、言葉の選定・整理にはより一層繊細に取り組んでほしいと思います。

完成が待ち遠しい!みんなお疲れさまでした。最後までやりきりましょう!
(僕もやれるだけやりきりますー。)

M2 弓削多