つくばセンタービルをみてきた感想。サブゼミD班の議論を思い出しながら…

10/17〜10/18に茨城へM2四人でドライブツアーへ行ってきた。


|01|つくばセンタービル(磯崎新、1983)|02|つくばカピオ谷口吉生、1996)|03|松見タワー(菊竹清訓、1976)

|04|水戸市立西部図書館(新居千秋、1992)|05|水戸芸術館磯崎新、1990)|06|真壁伝承館(渡辺真理ほか、2011)

サブゼミD班柄谷行人『世界史の構造』(岩波書店2010)の最後で磯崎氏の『神の似姿-テオモルフィスム』(鹿島出版会2001)の一部を参考にした事をキッカケに、磯崎氏の建築論に興味を持ち、気まぐれに足を伸ばしてみた次第である。
実際の旅行中は実にのどかな、ゆる〜い感じの自主休暇であったのだが、帰って来てゆっくり考えたことをまとめてみようと思う。

つくばカピオ」はひと目で谷口さんの作品だと分かる水平垂直を強調した美しい構成。「水戸市立西部図書館」は古典的で幾何学的な図書館の形式が力強く、かつどこか親しみやすい雰囲気をもった建物であった。この二つの建物は表層レベルのスタイルや参照された空間形式は異なるものの、いずれも完成された静的な空間構成を持つ建物であった。
一方で「つくばセンタービル」を体験した感覚としては、広場やホテルエントランス部分などの機能的な構成は筑波学園都市全体の設計とうまく噛み合っているなかで、広場のカスケードや、錯視の階段や、不意に現れる傾きや曲線などの「くずし」が要所にみられ、前の二つの作品とは全く異なる印象を受けた。

話しは飛んで…僕らが春学期に取り組んだサブゼミで、世界史というグラデーショナルな事件の連なりを、交換様式の類型とそれに付随する権力の類型によって構造的に読み解くという柄谷行人の思想を勉強した。さらにサブゼミ最終回では、そのような政治経済的なモードの変化と建築様式の変化の関係性を歴史的に勉強しようとして、一例として磯崎のゴシック聖堂とマンハッタンのアール・デコに関する論考を参考にした(そのうち当ブログで詳しく感想を述べます)。
結果として、僕らが歴史の教科書で学ぶほぼ全ての建築様式は政治経済的な権力を表象しているということであった。
例えば、ゴシック聖堂はキリスト教の教えを国民へ強く浸透させるための空間構成を洗練させてきたのだが、その背後には国民を統率するための国家の影が存在する。また、アール・デコの装飾性はシカゴ派の超高層ビルの技術と合わさって資本主義的な消費社会のアイコンとして貨幣の権力を纏っている。

つくばセンタービルに話しを戻して…「都市、国家、そして〈様式〉を問う」『新建築 1983年11月号』のなかで磯崎は、1970年代以降に資本主義的な発展をさらに推し進めるためのネオリベラリズム的な政治段階に突入する日本の、国家プロジェクトの中心に建つ建築がもつべき様式とは何かという問題について語っている。
しだいに国家は後退し影を潜め始め、資本の動き(経済性)によってのみ価値判断され生産される世界(柄谷的にいうと交換様式C=貨幣権力に支配された世界)。この社会では奇をてらったデザインや新たな空間様式を発明しても瞬く間に消費され風化してゆく、そんな社会に対して真っ向から対峙しても肩透かしを喰らう、もしくは飲み込まれるのは容易に想像つく。
つくばの場合には、本来の意味を失った様々なモチーフをコラージュ的に配置し、その各々発するノイズが各々を相殺し続けるような状況をつくり上げ、逆説的に皮肉的に国家の不透明性を暗示するというのが磯崎の手法であった。

さて、そんな高度なトリックを用いて設計されたつくばセンタービルについて考えていると、またサブゼミで勉強したことを思い出す。

上で建築様式と権力の関係を述べたのだが、さらによく探してみれば初期ユダヤ教や初期キリスト教においては権力の影が見えない空間の利用があったのだろうことが分かってきた。
初期キリスト教ローマ帝国からの弾圧を受けていた。そのため今日普通に想像する光降り注ぐ三廊形式の教会堂など建設できるはずも無く、地下などにもぐって密かに信仰を続けていた。このとき信者が集い信仰を確かめあう空間は一信者の家であったり、地下墓地(カタコンベ)であった。当時の信者は、そのとき存在する空間を即物的に捉え、それを本来の利用目的から読み替える事で空間を捉えていたのであって、そこでは空間の形式を超えた想像上の形式が自律していたと言えるのではないだろうか。
少し時間を遡りすぎた感があるのでもう一つ例を出せば、10世紀ごろから次第に住宅へ転用されていったローマの円形闘技場についても同様なことを読み取ることができる(中谷礼仁『セヴェラルネス+』(鹿島出版会2011)より)。つまりこの「読み替え」がなされているまさにその時には建物の実体と、知覚されるイメージとの間にはズレが存在しているということである。
さらに言えばこの「読み替え」がなされるときは、空間の意味をすでに失効していて、その空間構成(形式)のみが即物的に読み取られているのだと理解できる。

文脈から切り離されて存在する空間はそれぞれが「廃墟」のようであり、そこを体験する人びとによって別の意味を投げ込まれ続けることになる。そんな現象を複合させて構成された建築がつくばセンタービルなのだろうと思うにいたった。そこにはメタレベルで統一する論理は存在しておらず、中心が無い(カンピドリオ広場のネガが象徴的)。それが当時から現在まで続く国家に対するアイロニーとなっている。

とりあえず思うがままに「つくばセンタービル」をみて考えたことをつらつら書いてみた。まだまだ理解できていない部分が多いと思うが、最近磯崎さんについての展覧会や書籍の出版が多く、このブームに乗っかって今後も磯崎建築を色々みて考えてみたいと思う。
次は早いうちに群馬へ行きたい…

M2 くらいし