サブゼミA班 「資本主義と無意識」 第2回発表

5月9日、サブゼミA班の第2回の発表を行いました。

まず前回の発表から、さらに発展して考察した『錯乱のニューヨーク』第1部について。マンハッタンの技術的基盤となったコニ―アイランドの3つの遊園地の設立者の思想が、マンハッタンのアーバニズムを形作る土地、プログラム、フォルムとそれぞれつながって、さらに摩天楼を形作るメカニズムともつながってくるのではないか。これについては必ずしも直線的なつながりでなく、技術的なつながりや相互関係があったのではないかという結論に至った。

さらに、ポンチ絵でマンハッタニズムと前回の議論で盛り上がった部分についてをコンパクトにまとめたプリントをつくって復習。これでコールハースの分析したマンハッタニズムと、PCM的思考について、かなりわかりやすくなったので全体に伝わったかなと思います。


ゼミA班2冊目は、八田利也『現代建築愚作論』(1961年、彰国社)。この本は昨年復刻され、藤村さんのあとがきも追加されて再注目されています。
伊藤ていじ、磯崎新、川上秀光の共同論文をまとめたものであるこの本は、全体を通じてあるべき建築家像を示している。

まず小住宅編。戦後の住宅不足の状況で土地を細かく分割して大量の住宅を建設していた。建築家は制限される条件の中デザインをしていくほかなくなっていった。その変遷の中で産業化とともに分化していく住宅像を、マスプロ型、デラックス型とそれらの中間型に分類し、前者は大量生産を前提としたもので、後者はオーダーメイドで建築家の作る住宅のことを指す。これは現在のハウスメーカーと、アトリエ系建築家の関係に通じている。八田利也は、小住宅の変化を俊敏に察知し、それとともに変化していく建築家像をここで浮き彫りにしている。
次に巨大建築編。資本主義の中で土地が細分化しその土地一つ一つに権利が付随する形式が生まれる。そして個々の土地の所有関係においては、建築家が危機感を持って都市環境を改善しようとしても個々の自己中心的な考えによって保守的になろうとする。それらが集団化すると建築家のコントロールの範囲を超えて、都市混乱を助長する働きをする。建築家は都市混乱を嘆きつつも都市混乱を引き起こす有能な資質を持っている。八田利也は、保守的なムードを打ち破るには、建築家が都市の混乱を助長し破局に至るのを待つしかないという究極的な結論を皮肉を交えて言っている。
細分化された土地を前提とする再開発は困難であるため、共同建築やマンモスビルという新しいビルディングタイプがうまれた。これは建築技術の発展と資本主義的な観点から不可避の存在として形成された。ここで、大規模な建築は大規模設計事務所によってサラリーマン建築家が分業したほうが効率的なので、アトリエ系の建築家は相対的に価値を失っていくことを指摘している。
この次に八田利也が描く建築家像を示している。「建築家は愚作こそを作るべきだ。」資本主義と無意識という大きなテーマにそれてしまうので割愛します。愚作が何かについては本を参照で。

最後に2冊を読み終えて、マンハッタニズムとトウキョウイズムを比較し次回への足掛かりとするために議論しました。ここで分かったのは、両者共通する背景として資本主義、欲望、過密化というキーワードがあげられるが、マンハッタンと東京では比べる範囲が違いすぎるという点。マンハッタンには1つの島の中で均質的なグリッドに広がる摩天楼があり、東京には高層ビルと住宅地が混在し密集する都心部と背後にある郊外住宅地まで内包している。

次回はこの点を議論しなおして、今回できなかった巨大建築論争をとりあげて、トウキョウイズムを少しでも解き明かしていきたいと思います!
…愚作論は錯乱より読みやすかったけど、東京の複雑さを理解していくのが大変でした。何重にも重なる過去の規制や歴史背景が形成する今の東京。もっとちゃんと歴史の授業を受けておけばよかったなーと少し後悔しました。すごく面白い(面白そうな)トウキョウイズムを次回議論できるように知識をぐんぐん入れていきたいと思います。

B4 サトウアヤナ