サブゼミ-D・ハーヴェイ班−3

今回は「都市コモンズ」をキーワードとした話しについて報告する。

1、 一定の共有地で何人か個人が畜牛を放し飼いにする。
2、 所有者たちは利益を得るために畜牛を増やしつづける。
3、 牧草が食い荒らされ、土地(共有地)の豊かさが失われる。
4、 個々人の利益の最大化によって共有地が喪失される。

以上の畜牛の例において、共有されているもの=牧草地=土地がいわゆるコモンズを表している。コモンズとは「共有的なもの、共同的なもの」である。この例の場合、牧草地が失われないようにコントロールするにはどのような方法があるのだろうか?
一つ、ある特定の人物がリーダーシップをとり、トップダウン的に管理するという手法が考えられる。しかしながらその場合、私的所有の拡大と権威主義的介入という二極分化した統治の構図となり、これは個人主義的な市場の拡大と国家による権威主義的介入という資本主義システムと同様な状況である。

それでは、この二極分化(階級化)に対するオルタナティブとしてどのようなものが有り得るのだろうか。
その一つとして、エリノア・オストロム(Elinor Ostrom)によって提唱された「シェアリング」という管理方法があげられる。私的・公的諸手段の豊富な組み合わせによって共有資源を実質的に管理することである。ヒエラルキーを解消し水平的な連携による統治システムであるが、この考え方にも限界が生じる。
例えば、あるローカルな地域に住む農耕者らの間でならば、河川に対する水利権をシェアすることで平等に利益を分配することは可能であるだろう。それでは、同様のシステムでリージョナルな問題として酸性雨の問題を解決する事は可能だろうか。酸性雨の原因となる汚染物質を排出している施設との協議が必要となるだろうが、そのときシェアリングの概念だけで解決することは困難である。さらに、グローバルな問題として地球温暖化の解決に取り組もうとした場合、各国間のリーダー同士での協議が必要となる。
つまり、シェアリング=多極的統治システムによって利益を等配分しフラットな関係性を構築するという考え方は、ある一定規模のコミュニティ(地域、集団)においては効果を発揮するが、さらに上位のスケールへ横断する事ができないという重要な問題が残っているのである。

cf.ヨーロッパ連合EU)に見られる財政的赤字という問題も多極的統治システムの限界を暗示している。ヨーロッパ諸国を取りまとめる上位システムの不在という点で限界がある。

以上までの「多極的統治システム」のような改良主義型の方法を乗り越える可能性のある、階級闘争に対する革命主義型オルタナティブとして「連合主義」という方法を本書のなかでハーヴェイが紹介している。
この「連合主義」という概念はマレイ・ブクチン(Murray Bookchin)という理論家によって提唱された。
「連合主義」とは「自治体会議の連合的ネットワーク」と同義である。自治体が、政治的にも経済的にも相互作用しながらオープンな集会/会議の場において市民体として自分たちの具体的諸問題を解決するシステムである。
権力がトップダウン的に上から下へ流れるのではなく、下から上へ(ボトムアップ)流れるような組織を提示している。このブクチンによる提案はスケールを横断したコモンズの創出と集団的利用を扱う急進的な提案であるとハーヴェイは評価し、反資本主義オルタナティブとして具体化するに値すると言われている。

このような連合主義的ネットワークの例として、ブラジル南部のポルト・アレグレという都市での試みがある。この都市では地区毎の予算案について町内会レベルから順々に上位の議論へ上げてゆき、それを一年のサイクルで行うことがシステム化されている。こうすることで住民一人一人の意見が上層の議論まで反映させることが可能となり、決して十分とは言えない市の予算を公平に分配することが実現されている。

参考↓
[ 小池洋一「ポルト・アレグレの市民参加システム」http://www.systemken.org/geturei/39.html ]

ポルト・アレグレの例が示すように、過去30年もの間、新自由主義的経済システムがもたらしてきた行政側とローカルな自治体(個人)との間の格差という問題、そして、想定されていた共同の利益が個人化された私的所有権のせいで実現できなくなる(都市コモンズの悲劇)という問題に対する解決のためには以下の二つの政治方針を持つ事が重要であると考えられる。

1、 国家に対して、公共の目的に沿う形でますます多くの公共財を供給させる方針
2、 全住民が自己組織化し、非商品的なコモンズの再生産とそれらの質を高めるように公共財を領有、利用する方針


それでは、さらに具体例としてボリビアのエルアルトという都市で起きた新自由主義的な政策に対する反乱についても紹介しようと思う。

ボリビアは1980年代以降サンチェス・ロサダ(経済官房、大統領)によって新自由主義的な政策に舵がとられた。それによって1998年、それまで市営で提供されていた上下水道サービスを米国ベクテル社の支社に委託し、外資系の民営会社である「トゥナリ水供給会社」が設立された。その後、ダムを建設するための資金を調達するという名目で水道料金が一気に三倍まで引き上げられ、多くの市民の家計に打撃を与えた。
国家による政策や、理不尽な公共料金の値上げなどに反発した市民らは、2000年に労働者同盟を新しく組織し抗議行動を起こした。その行動に対し政府は弾圧を断行し多くの民衆が亡くなってしまう結果となった。
この事件の後、警察や消防士などの中にも反対運動に賛同する者が現れ始める。また、ボリビア中央労働者連盟の呼びかけに応じた教職員組合も無期限ストライキを開始した。このように都市に住む多様な主体を巻き込んだ反乱運動へと拡大し、政府にとって致命的となる影響を与えるまでになった。
そうしてボリビア政府も最終的に抗議者の主張を全て受け入れることを表明し、トゥナリ水供給会社は事業撤退を表明する結果となった。結果的に市民側の要求が通り、新自由主義的な政策から自分たちの権利を勝ち取ることとなった。

参考↓
[THE MAGAZINE ボリビア水戦争 〜水と公共事業は誰の物か〜 http://www.thesalon.jp/themagazine/social/post-21.html ]

その後の2003年にも、同様にボリビア保有する天然資源に対する政府の新自由主義的な政策に対しても市民が反乱を起こし、大統領を辞任に追い込むまでの結果を勝ち取る反乱が起きている。

これらの事例から考察するに、反資本主義運動を行う際にポイントとなる3つの政治的目標が挙げられる。

1、資本主義の中で支配的になってる社会的諸関係に対するオルタナティブな社会関係を構築しなければならない。
2、大量生産、大量消費、社会制度の転換に伴うライフスタイルの変革
3、資本主義的価値法則を廃絶しなければならない (1、2の根底)


ポルトアレグレやエルアルトのように、多様な都市生産者(市民)を組織し都市への権利を勝ち取るための運動を起こす事例は、反資本主義闘争の出発点である。
ここまでが『反乱する都市』に書かれている内容の概要である。

さて、班のなかで本書を読み進め、ゼミでディスカッションをしていった中で気になるのは、紹介されているような都市反乱は果たして日本で起きていたのかどうか… 特に最近は企業のストライキやデモがあまり起こっていないのではないか、それはなぜか…という疑問が湧いてきた。そこで主に戦後の学生運動や労働運動について考察した。

(つづく)

M1 倉石