サブゼミ-D・ハーヴェイ班−2


 「資本家はある一定量の紙幣でもって一日を始め、それ以上の紙幣(利益、剰余価値)でもってその日を終える。その剰余紙幣を、さらに多くの紙幣を得るために再投資するか、それとも自分の剰余を楽しみに使うか選択する。しかし、競争の原理は彼らに再投資を強いる。なぜなら、再投資しなければ他の資本家が再投資するのは確実だからである。」
この寓話が示すように人々の欲求による利益の拡大は必然となっている。特に1970年代以降拡大した新自由主義政策下においては国家の役割は後退し、所有的個人主義の時代となり資本拡大のサイクルを駆動させ続ける事が目的となった。
 前回述べたように、都市は過剰な資本を固定化し蓄積することができる大きな器である。それゆえ資本家たちは工場を建設し生産活動を行い、業務を遂行するためにはオフィスを必要とする。都市のあらゆる建造物は固定化された資本であると見る事ができるだろう。


 やがて剰余価値を蓄積する器としての都市が飽和しそうになると、その器の拡大や変形が図られる。19cのジョルジュ・オスマンによるパリの大改造や、20cにロバート・モーゼスが行ったニューヨークのサバーバナイゼーションも器としての都市の拡大である。近年では新自由主義が定着して後退した国家は、資本蓄積がスムースに進むように容積率を緩和し、金利を引き下げ、水道の蛇口を捻るかのように資本の流れをコントロールしてより多くの資本蓄積を画策する。

 さて、このようにして常に資本主義システムを回し続けることで都市の拡大・経済成長・剰余価値の蓄積が進むのだが、ここで土地や建物に資本を蓄積することによって生じる現象がある。これは先のリーマンショックの引き金ともなった資本の擬制的性質である。
 建物や土地を取得し、そこからのレント(地代、家賃など)で利益を獲得するというかたちで資本蓄積を行うとき、その不動産を取得する際に支払った金額を回収するまではその建物や土地に本当に価値があるのかわからない。実際はその不動産において将来見込まれる価値を見越して評価され、さらに信用に基づいて取引が行われる。このときの予見的な架空の価値付けが「擬制資本」である。
 すなわち、不動産を取得することや、都市の開発を行う行為は常に「投機的」にならざるを得ない。そしてその投資した資本金を回収するまでに長い時間を有することが、不動産の特徴であると言える。

 ここで投機的な投資によって生じる不動産特有の性質が顕著に現れた事例として中国の現状がある。本書の中でも「チャイナストーリー」として詳細にレポートされているので概要を述べてみる。
 リーマンショック後の世界的な不況に際して中国経済も損害を被った。それ以前から中国では不動産バブルが拡大を続いており、中国政府はインフラ整備の推進と、都市計画プロジェクトを性急に押し進めることで雇用の確保と地方自治体の資金確保を試みた。
 中国において土地は全て国が所有している。それゆえ都市開発を行おうとするデベロッパー(外資も含む)は中国地方自治体に対して使用料というかたちで資金を支払い建設に望む。一方で、開発費用に対する融資を行う銀行は大半が政府機関のようなものであり、貸し出しする相手は中国国有企業や大手企業が有利となり、その他の企業は資金集めに苦戦を強いられる。
 そのとき出現するのが「シャドーバンキング」と呼ばれるシステムであり、中小デベロッパーは銀行以外の金融機関から融資を受けることで資本金を獲得する。このとき問題となるのは、このシャドーバンキングを制御する仕組みが存在しないことだ。中国の都市開発プロジェクトは様々な主体が介入し、実際には需要がそこまで拡大していないにも関わらずニュータウンやショッピングセンターの開発が進行しており、これをコントロールすることができていない。


 そうして生じる結果として、需要に対して供給が大幅に上回っている状況で完成した不動産には使用する人が集まらず、ニュータウンは空き家だらけのゴーストタウンと化し、ショッピングセンターもテナントが入らずがらんどうで荒れた場所になってしまう。
 将来的な価値(擬制資本)を見込んで投機的な投資を行う際、それが行き過ぎると不良資産となり資本家の首を絞めることになる。実際に中国ではシャドーバンキングの存在によって、以上のような乱開発を制御しようにも制御できない状況にある。「中国の不動産バブルが崩壊する」という類のニュースを時折見るが、このまま需要の拡大が追いつかないままでいくと資本家の擬制的な損害は増える一方であり、不動産価値が急落することは免れないだろう。

参考↓
YouTube「ゴーストタウン化 中国の住宅市場危機」http://youtu.be/yLPCDFQ2Ya0
[ ロイター「中国の地方政府、シャドーバンキングで膨らむ債務」http://jp.reuters.com/article/jp_forum/idJPTYE97P04720130826?sp=true


 「チャイナストーリー」のような現象は程度の差はあれ日本でもアメリカでも世界中で発生している。都市開発が行われる際、主導権を握るのは常にデベロッパーなどの特権階級であり、彼らが行う「創造的破壊」によって追い出されるのは低所得者階級である。
 都市開発は必然的にその土地に本来根付いていたものを破壊した上で新しい建物が建設される。低所得者層は追い出され、その跡には高所得者向けのマンションが完成するという事例は多い。資本蓄積のアーバナイゼーションは常に創造的破壊を孕み、階級を生む行為である。

 そうした時、考えるべきは反資本主義的オルタナティブ・都市開発のオルタナティブを探求することである。本書後半では「都市コモンズ」をキーワードに、市民がいかに自己組織化しオルタナティブを提示することが可能なのかについて、自由主義社会学者であり政策理論家であるマレイ・ブクチン(Murray Bookchin)を引用しつつ記述されている。
 さらに改めて報告します。

【ここまでの感想】
 僕らは建築学科のはずなのに今回のサブゼミは不動産学科や経済学科で勉強するような内容が多く含まれており、経済の専門用語を一つ理解するだけでもかなり骨が折れる作業だった。
 グローバリゼーションと言われるように、情報技術の発達に伴う不動産証券化などの手法が定着することで、世界中の資本家たちが遠くの国の都市開発にも関与できる状況であるから複雑で、構造を理解することは困難である。しかしながら、都市開発による創造的破壊行為が都市に与える影響は大きく、既存の地域社会を組み替えジェントリフィケーションと呼ばれる現象によって都市の構造が変更されていくことは東京を含め各都市で発生している。
 そうした事を考えると資本主義的な経済の動きが与える影響という視点から都市を観察することで、都市変容過程の一側面を見ることは可能だろうと思った。

(つづく)

M1 倉石