サブゼミ D班第一回

こんにちは。
遅れてしまいましたが、今回はサブゼミD班第一回発表について報告します。

今回は、D班の参考図書である鈴木博之先生の『都市へ』についての発表を行いました。
この本は都市史を都市計画の歴史だけを追うのでなく、そこで暮らす人々がどのように都市の形成に関与していたのか、ということにも焦点を当てて書かれた数少ない本です。
D班では通史で書かれた『都市へ』を読み解く際に東京の“土地”の変容について着眼することにしました。

発表の流れとしては、まず『都市へ』のプロローグとD班の着眼点、次に江戸から東京になるきっかけとなった明治維新とその後、関東大震災後、最後に戦後という大まかな区分をして通史的な本書を網羅するという形です。

発表の結果、議論の中心となったポイントは、
鈴木博之先生の“読み替え”や“食い潰し”等の言葉の使い分けは具体的にどのような判断基準でなされているのか、
市区改正や区画整理の大きな違いはなにか、空間としてどのような違いができるのか、
ということでした。

最初の議論の内容についてですが、江戸のまちは、もともと武家地、町人地、寺社地として分けられていました。しかし、明治維新が起こり官軍が江戸を支配しはじめ、上地をして土地(武家地)を回収していきます。官軍は江戸を東京に変えていく手法として、“読み替え”や“転換”を行っていきました。そこには東京の将来を見据えたような青写真はなく、場当たり的に江戸の遺産を使っていくことに対し、『都市へ』の著者である鈴木博之先生は“食い潰し”という表現を所々で用いていました。
官軍が行った“読み替え”“転換”“食い潰し”が具体的にどのようなものだったのか、本書に載っている事例をレジュメに一括りにまとめたのですが、ここで議論になったのは、それらの言葉には使い分けがなされているはずであり、その具体的定義を探るべきではないかということです。それについては次回までの課題ということになりました。

次の議論として、市区改正と区画整理は同じ都市計画であるのに、以後区画整理が日本において主流となったのはなぜか、そこにはどんな意味があるのか、ということが挙りました。
東京全体を計画して改造しようとした市区改正は結局線的なインフラの整備にとどまり、一方で、区画整理は線的な道路を設けるのと同時に面的な整備を行うことができました。なぜ市区改正にできなかった面的改造を区画整理ではできたかというと、区画整理は行政と土地所有者の双方に利点があったということが原因として考えられる、という議論に至りました。また、区画整理によって実際にどのように都市が変わっていったのか、という投げかけに対する答えは見つけられなかったので、同じく次回への課題になりました。

これらを踏まえて第二回の発表につなげます。


個人的には、十分に議論をするための様々な背景知識が不足しすぎていたことに気づかされ、もっともっと勉強しなければ、、、という反省に至りました。
先輩方はさすがです。頑張ります!

B4 スズキ