第2回ゼミ 研究内容発表〜Bグループ〜

5月10日、GW明け初のゼミ発表が終了しました!!
今年のGWは長かったですね。それぞれ、思う存分満喫できましたでしょうか?
これから先は、夏休みまで祝日なし

五月病にも負けず、

雨期にも負けず、

真夏の焼けるような日差しにも負けず!

頑張っていきましょう。
それでは、第2回ゼミ発表報告に参りましょう。
今回は私、B4アサカが担当します。


通常通り10:30スタート。
発表してくれた方々は、M1野口→M2深町→B4鈴木→D2陳→B4小塚です。(発表順)

批判的地域主義を持ち合わす都市の変遷についての研究 野口
時の流れに従い、建築は更新されていきます。研究では、地域主義建築や建築家の事例を挙げ、地域制議論の展開、変遷について理解することで、批判的地域主義を読み解き、そこに隠された地域性があるかを検証していきます。地域主義建築と言われると、白川郷合掌造りや伊根の舟屋のことを想像してしまいましたが、ここでは神代雄一郎氏が示す地域主義建築や建築家を取り上げるようなので、次の機会に画像を見せてもらえたらと思います。

雑誌広告からみる住宅産業 深町
各時代における住宅産業を建築誌ではなく、一般紙から読み解くというもの。専門家目線ではなく、住宅に一番いる時間の長い主婦を中心に、消費者の時代ごとの要求を探り、当時の産業においてどのような商品が生み出されたのかを調べます。
時代ごとによって進化をとげる住環境。雑誌を読んでいても、あまり広告には注目しないので、とても気になる研究内容でした。次回は、広告紹介に期待してます!

東京と、 鈴木
人口が減少し、地方の過疎化が進む現代。そんな中、“東京”という大都市に着目し、若者に焦点を当て、大都市と地方の関係性を見直してみるという研究です。大都市生まれが多くなった今、地方に行きたいと思う気持ちもあるが、なかなか実行に移れない者がほとんどです。そこで今回挙げられたのが、“東京と地方の二重生活”で、シェアハウスや雇用形態を利用し、若者の地方進出を促進させるというものでした。
今後は、東京という大都市をどのように解釈し、どんな空間・システムを提案してくれるのか、楽しみにしています!

嘉義の近山地区を基づいて各民族のテリトリの変遷 陳
台湾の集落変遷について取り上げた研究です。漢民族が移り住み、土地が開発され、交通手段が変化していった中、原住民と移民の生活環境はどう変わり、また開発された市街地と計画にはどのような差異が生じたのかを歴史を辿り紐解いていきます。
高校までの歴史の授業で習った“漢”や“清”といった言葉を久々に聞き、懐かしさを感じました。あまり台湾の地理や歴史について知らないので、次回は是非画像を使い、軽い歴史背景などを教えてもらえると嬉しいです!!

東京都大田区 町工場(仮) 小塚
都区内最多の約4000の工場がある“ものづくりのまち”・太田区。そんな太田区の歴史を辿ってみると、江戸時代からつづく産業のまちであり、明治後期に工業のまちへと変わっていったことがわかります。関東大震災後には、黒沢商会“工業村”という工場働きの人々のための生活環境が生まれ、その後、住工一体マンション(1階工場、上層階住居)が建設されました。
工場地帯に馴染みがなく、事例を紹介してもらったことで、関心を抱くところもありました。今後研究を深めていき、是非現代における新しい町工場を提案してほしいと思います。


発表者の方々、お疲れさまでした。
次回もよろしくお願いします!!

(余談)
1回記事を書きこんでる間にワイヤレスネットワークが切断され、打ち込んだ文章をさよなら。意気消沈してしまいましたが、どうにか記事アップです!
こまめな保存が大切であると、しみじみ感じました。