サブゼミ/スラム班3回目

7/6のサブゼミのレポートです。
今回はスラム班の3回目の発表。前期のサブゼミもいよいよ3周目に突入です。

今回は1回目,2回目のときの議論を受けて浮かび上がってきたテーマをもとにメンバーでトピックを構成してきました。トピックは大きく分けて3つ。

1)日本のスラム
2)未来のスラム
3)J.F.C.ターナーの言説について


前半に磯村英一『日本のスラム』(1962 誠信書房)を主な題材に、戦前戦後の日本(特に東京)のスラムの状況についての紹介。本木町のバタヤ街にスポットを当てつつ、東京においてスラム街がどのように拡大して定着したのかを示しました。ここでの狙いは、1960-70年代の東京にどのようなスラムの風景があったのかを出来るだけ詳細に読み込むことで、「現在の東京にはなぜスラムがないのか。」という大きな問いにアプローチするきっかけを作りたいと考えました。
 そして議題は「未来のスラム」へ。興味深かった点は、戦後の細民と呼ばれていた人々が職人といった職業に就いて、ある種のジェントリフィケーションが起きていたことでした。そして東京においては特に土地利用などの都市計画のコントロールが極めて弱い状況下でスラムが動き、吸収されていったことも東京の都市形成を議論する上で重要なこととして挙げられました。とくに個人的にツボだったのが「個々の主体がそれぞれの論理で目先の利益を最大化しようとした結果、スラムがなくなった」という所。これって創発的?(詳しくは創発班の議論を参照)

 
後半はJ.F.Cターナー『HOUSING BY PEOPLE』(1976)の紹介をしました。この本は和訳本が出ていないため、研究室随一の国際派・肥後さんによる紹介でした。新出の事実がたくさんでまさに目からウロコ状態。“Housing as a Verb”(動詞としての住居)というキーワードを通じて、セルフヘルプの概念の理解を深められたかと思います。そしてそこからデイヴィスによるターナー的手法に対する批判の有効性についてみんなで議論しました。



…と、以上が今回の内容でした。

a班では第三世界のスラムの現況からテーマを広げ、セルフヘルプの概念や実践、日本のスラムについて3回に渡って議論をしてきました。今あるスラムの背景には単なる貧困だけでなく、創造し難いような搾取の関係や政治的な圧力があったりすることがだいぶ見えるようになったかと思います。

それにしても、あらためて未来のスラム特集(『建築雑誌』2010年1月号)はとても面白いです。夏のうちに再読せねばー。

B4 林