2015年度 修士論文中間発表

本日10月2日にM2の修士論文の中間発表が行われました。

中間発表の先生方のコメントも踏まえて、M2修士論文の進捗状況を簡単にまとめます。
発表と同時並行に書いたので一部文章が変になってしまっているかもしれません。。。


りゅうさん

関東大震災後に建てられた銅板を使用した建物に関する研究 −大正末期から昭和初期において−
関東大震災バラック令が発令されると本来防火性能として認められていない銅板を壁面に使用した建物が建設されるようになる。
銅板張りの建物がどのような経緯で生まれたかを明らかにするとともに板金屋からの視点に着目して建設過程の変容を明らかにしていく。


園田先生)
・銅板という着眼点はどこに関心があるのか?
→建物の隣接部にはなく、ファサードについていること。
どのような経緯・目的として取り付けられていくのか。

大河内先生)
・銅板は意匠目的?防火対策?
・板金屋さんが取り付けるようになった?
→銅板の目的は様々あると思うが、道路側へのファサードへの意識が強いのではないか。
・板金屋さんの数は?
・屋根を葺く構法と壁面との違いはないのか?

田村先生)
・研究の立ち位置、問題意識はどこにあるのか明確に提示した方が良い。


アッコさん

●近世から現代までの路上空間の変容に関する研究
その時代の生活者の欲望を行政が規制を行うことによって道路は形態・役を割共に変化させてきた。
当時の政府の計画から民衆の生活まで横断的に記述していく。
対象は江戸から現代にかけて絵図や写真資料が多く残る日本橋とする。


山本先生)
・この場合の路上空間というのはどういう定義なのか。公用地?
→道と建物の面ファサードまで私有地と公用地のぶつかる境界面まで
・私有地も含めてということは場合によって建物の屋内も含めるということになるのか?

鈴木先生
・タイトルの時間設定が大きい印象。近年の歩行者のために道路を解放するといったトレンドもある。現代の都市政策まで手を伸ばす気はあるか?
→タイトルに訂正箇所。現代までではなく昭和後期まで
・対象としている範囲はどこ?スタンスは?
→与えられた空間をその通り使っているように見える道路はこれまでいろいろな欲望と規制の応答によって積み上げられてきた。そういった視点で現代の道路はどういう経緯で構築されてきたのかを明らかにする。


いくさん

●房総半島中山間地域における限界集落化への変遷に関する研究
高度経済成長期以降の経済成長や農業改革がそれまで長い歴史を持っていた農村が解体していくシステムとして働くようになった。
ケーススタディとして月出という集落を選択し、戦後どのような要素が影響しあい変容していったのか記述していく。
様々なスケールでの分析を横断するメゾスケールな視点で考察していくことで、東京郊外の中山間地域における集落の生態系にどう影響を与えていったか明らかにしていく。



田村先生)
・人がどう移ったのかという話からいきなり間取りの話というのが、連関が見えてこない。メゾスケールという視点での分析、作業はうまくいっているか?
→現在は人口流出の傾向とそれに関わる諸要素のデータを収集整理している段階。それら関係性の整理の作業はこれから。

園田先生)
・メゾレベルの研究というようにテーマを絞るのはよい。
・産業構造の形態や就業状況などがどう映っているかなども見ると発見があるかも。


ほのみさん

東京湾内湾沿岸漁村集落の歴史的変遷に関する研究
近世以降江戸近郊の漁村が明治以降工業の発展によって工業用地として変容していく
近世以降の変容の様子を整理し、社会・空間的構造の関係性にも着眼していく
漁獲物流通のネットワークの違い近代以降の都市化の過程に違いを生む。
深川・芝・品川・羽田をケースとして比較を行い変容のパターンを捉える。



山本先生)
・漁業権の放棄のタイミングは?
→1962年
・沿岸部は漁業権と埋め立ての影響が大きいように思う。

田中先生)
海苔の養殖の写真は研究にどう関係している?
海苔の養殖をしている場所の地割や開発はどうなっている?
→海苔の養殖値は埋め立てによって無くなっていく。在住の地主が多く流動性が低い様子が見受けられ、その影響で地割・建物規模の変化が見られない。
・ノリは干すための広大な土地があったはず。そういった当時の状況はひとつの手がかりになるのでは。



今日はお疲れさまでした!
残り半年、自分も頑張ります。。。


M1 ゆげた