サブゼミA班 「資本主義と無意識」 第1回発表

2012年度サブゼミが始まりました。一発目はA班「資本主義と無意識」と題してレム・コールハース(鈴木圭介訳)『錯乱のニューヨーク』(1978)をメインテキストとし、資本主義を原理として駆動するマンハッタニズムとはいかなるものなのか迫っていきます。
さらに、八田利也『現代建築愚作論』(2011、初版1961)を通して日本におけるマンハッタニズムとは何なのか参照しつつ、巨大建築論争へと議論を発展させてゆく予定です。
さて、4月25日はA班が発表する3回のうちの1回目。『錯乱のニューヨーク』をメンバー5人で読み深め、序章から補遺まで通して研究室のみなさんに紹介・説明させて頂きました。

マンハッタニズムとはグリッドと資本主義を原動力として無意識的に都市を生成するシステムである。正のフィードバック的に過密が過密を呼び、建築的ロボトミーによって内部と外部を分断された摩天楼が立ち並ぶ。1916年に定められたゾーニング法によって摩天楼の不可視の建物外形が存在しており、建築家やデザイナーが関わる部分は細部のみであって、ビル本体の形は資本主義の原理のもと自動生成される。
1930年代に入り、サルバドール・ダリル・コルビュジェがマンハッタンに現れる。ダリはマンハッタン自体に偏執症的現象を見出し、マンハッタンの摩天楼を礼賛した。一方でコルビュジェは自身が構想した「輝く都市」と酷似した高層ビルがすでにマンハッタンに存在していることに嫉妬を感じつつ、「摩天楼は小さすぎる」「洗練されていない」と批判し、水平の摩天楼というコンセプトを打ち立てる。
その後、世界的な恐慌が発生しマンハッタニズムの勢いは衰えていくのだが、人間の欲望が続く限りその原理が死ぬことはない。
こうしてコールハースは回顧的(レトロアクティブ)にマンハッタニズムを意識化した。むしろ、マンハッタニズムは偏執症的批判方法(PCM)を用いることでしか語ることはできないのである。ここで一つ興味深い点は、マンハッタンにおける無意識的な原理を意識化したコールハースが『錯乱のニューヨーク』の最後で自身の計画案を提案している事である。つまり、来る第二期マンハッタニズムをコールハース自身が手掛けていこうというマニフェストだとも読めるのである。
コルビュジェは、ダリがミレーの『晩餐』を偏執症的に描き変えた方法を用いてマンハッタニズムを否定したとも言えると思うが、コールハース自身も本書を通してPCM的にマンハッタニズムを描きだし、さらに自分自身の手の中に取り込んだのである。
コールハース恐るべし。

個人的にはB4として初めてサブゼミの発表を体験したのですが、いや〜難しかった! 『錯乱のニューヨーク』には比喩的な表現が多く、ひとつひとつ意味を確認しながら理解しまとめていく作業には骨が折れました… しかしながらグループの先輩方と議論しながら読み解いていく作業や、ヘロヘロになりながらも発表して議論する場を通して自分の中の理解不足であった点が解決していく感覚は楽しかった!!

次回A班の第2回の発表では、『錯乱のニューヨーク』についての補足をしつつ、マンハッタニズムを日本の文脈の中でとらえるために『現代建築愚作論』について発表し議論を続けていきたいと思っています。
B4 クライシ