日生劇場1963

先日Aoi-lab. field walk vol.06ということで、日生劇場(1963/村野藤吾)を中心に銀座周辺を歩いた。

01 日生劇場 村野藤吾
02 日比谷花壇 乾久美子
03 ソニー・ビル 芦原義信
04 メゾン・エルメス銀座店 レンゾ・ピアノ
03 松坂屋銀座店 アントニン・レーモンド
04 ニコラス・G・ハイエックセンター 坂茂
05 LANVIN GINZA 中村拓志
この日の目的はあくまで日生劇場であって、その後は銀座の街歩きをしながら行き当たりばったりで建築探訪をした。残念ながら、今回のメインである日生劇場は朝からの見学であったため照明の準備が間に合わず、ホール内部は暗い状態のままの見学となってしまったことを最初に言っておきたい。私の研究が広義的に言えば「村野藤吾のインテリア」であるので、端からまた来るつもりであった私としては、暗い状態を体感できたのは好都合だったのかもしれないが…
さて、日生劇場は1963年竣工。そのマッシブで様式的な外観から、これほどまでに多用される内部の曲線の連続は誰が想像できただろうか。様々な写真を見ただけでは、この建築を把握することは到底不可能であると、実際に見て感じた。
形式的な近代主義理論がかなり強かった時代背景の中で、できあがった日生劇場は当時、かなり衝撃的な建築であった。鉄筋コンクリート構造に石を積極的に使っていた。それに関して、新建築(1964.01)の村野藤吾と浜口隆一の対談で、浜口は「現代建築で、鉄筋コンクリート構造のものに石をああいうふうに積極的に使うことが、現実的に考えて意味があるということになると…中略…考えてきた近代建築の、あるいは現代建築の論理みたいなものが…中略…かなり崩れてしまうわけです。…中略…いろんな意味で深い問題がたくさんあるような気がするのです。」対して村野は、現代建築云々なんてことは考えない。様式だとかには興味がない。「日本生命が、あの会社としてどうありたいかということが第1と、それを何も知らない一般大衆に表現としてどうアピールするかが、同時に必要ですね。…中略…大切なことは、いったい人間と建築とどういう関係になるかということ…中略…現代の建築のあるいは建築における社会的な解釈の仕方ですね。これが建物の中に否応なしに入ってくる。」と語られている。



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一見石造に見えるそれは、構造とは全くの無関係、ただ張っているだけ、骨でも皮でもない果肉としての“石”である。村野が『様式の上にあれ』で語られていた、超様式だの、科学の発達だのという言葉がカタチになって表れているのがわかる。村野は自身で語られている通り、当然建築家であり、一面において科学者であったことが伺える。
その頃村野は、エーロ・サーリネン*1の作品をいろいろ見て、柱と梁の取り付け、つまり強い力がぶつかり合う部分が、非常にデリケートに仕上げられていることに感心し、自分なりにそうしたことを石という素材で表現したかった、という。ロビーの天井に張り巡らされた丸穴を開けた石膏整形版を縫うように、格子状の梁形が出ているのだが、そのぶつかり合う部分は丸みを帯びている。(青井先生がブログで詳しく述べている
また、目を見張るべきは、点景の演出である。つまり芸術家や共同制作者、関係者との共同設計部分。イスやテーブルはもちろん、照明やゴミ箱、ドアの取手に至るまで、多種多様に設計され、それらが空間と呼応し、村野特有の空間を構成する手助けをしている。ディテールまで拘る村野の真意を随所に感じることができる。ホール入口のドアの押し手と引き手のデザインが違うことは知っていたが、トイレのドアまで同様のコトがなされていること、比較的マッシブな家具設計をされている村野が、ロビー2階カフェの線の細いイスのデザインをしていたことなど、上野リチが壁面装飾を手がけたレストラン「アクトレス」がすでに現存していないことは非常に残念なことだが、見れば見るほどに新発見的デザインが無限に湧き出てくる。
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さらに、ひとつ気になったのは、エスカレーターの収まりである。エスカレーター下部がスラブ下に突き出ていたり、柱表面の石を抉り取っていたりする。当時の村野にどういう意図があったのか、個人的に気になるところではある。

係の方、詳しく案内して頂きありがとうございました。是非、いつか講演を見に行き、講演中のホールを体感したいと思います。
次回、読売会館と共に日生劇場のホールも見て、詳しくまた書きたい。

最後に、LANVIN GINZAの現在の使われ方を見て、非常に切なくなりました。



MAS∀KI  愛媛みかんがまた届きました。残り沢山。

*1:エーロ・サーリネン(1910−1961)は、アメリカ合衆国において活躍したフィンランドの建築家、プロダクト・デザイナー。多くの建築物や家具を手がけたが、シンプルで印象的なアーチ状構造を多く作品に取り入れていることで知られている。村野はサーリネンの影響を強く受けていると語っている。日生劇場においては、アメリJFK空港TWA(第5)ターミナルビルを具体的な参考例として挙げている。インテリアの色使いなど、特には、階段の形態と手摺にその影響が見られる。しかし、模倣するではなく、村野の作家的デザインの飛躍が施されている。