日本の都市の特産品 —アーケード・地下街・会館・ターミナルビル—

ちょうど一年くらい前の先生のブログに川添登のメタボリズムについて書かれていたこと(Hさんの研究)が気になっていたのだが、『都市空間の文化』(川添登岩波書店、1985)の目次を見ていたら「都市のコア」(293頁)という節に関連することが書かれているのを発見した。

Hさんがゼミのレジュメで引用していた文章に次のような箇所がある。

…先ほどインフラストラクチュアを否定したと申しました。塔状都市みたいに、あんなに高いものはインフラストラクチュアじゃないかと言われるかもしれないけれども、あれは私どもはインフラストラクチュアと考えていない。昔盛んに書いたんですけれども、日本に自然発生的なアーバンデザインというのが出てきた。たとえばアーケードですね。全国至るところに商店街のアーケードがある。こんなのはヨーロッパの都市では見られないことです。それから地下街がある。これもヨーロッパの都市にはほとんど見られない。最近はヨーロッパやアメリカなんかでも出てきましたが、会館建築というので、一つのビルの中にいろんなものをごちゃごちゃ入れた建築。今までの単一機能の建物でなくて、超建築とか複合建築というものが出てくるんじゃないか。塔状都市や人口土地は、そういう種類のもので、いわゆるインフラストラクチュアではないんです。…(「伝統論からメタボリズムへ」川添登+同時代建築研究会、『建築文化』、1978/11月号)

つまり、川添の考えていたメタボリズムというのは、商店街のアーケードや地下街、会館建築といったものと同じ種類であるということ。こういった視点は、一般にイメージされるメタボリズムの印象とはかなり違うように思うし、「都市発生学研究会」のメンバーとしては注目しないわけにはいかない。

「都市のコア」(『都市空間の文化』、川添登岩波書店、1985)に書かれていることは、日本の都市文化は行政指導型のミヤコ文化ではなく、民間主導型のチマタ文化であったということと、雨天の日が多いという気候条件とによって、戦後日本には自然発生的な都市デザインが生まれたということ。それは具体的には、アーケードや地下街、会館建築といった戸内化された都市空間で、それらは戦後日本の都市の繁華街のコアを形成してきた。
アーケード*1や地下街*2というのは、公共のスペースを大規模かつ長期にわたって特定の私的使用に提供するもので、日本社会に特徴的な公私混同の現れであるという。
注目すべきは地下街で、川添によれば、都市計画法が改正されて、地下街も都市施設とされるようになったが、それ以前は地下といえども公道であることには変わりなかったために、道路法による道路占有の規定によっていたというのだ。つまり、そこで営業していた店舗は露天商と同じであったために、一年ごとに契約を更新していたというのである。
川添は言及していないが、地下街の性格が戦後復興期にターミナル駅前にできたヤミ市の性格をどこかで受け継いでいると言っていい。ヤミ市の多くは駅前の疎開地という、ある意味公の土地の上に発生したもの(発育し1946年代にはマーケット化されていく)であるし、マーケット化しなかったものは公道の上で、露店として1950年頃まで営業を続けている。その後残っていたバラック建築群が1960年代の高度成長期に整理され同所での高層・地下化を経て、その性格が跡地の空間に影響を与えていることは初田香成さんの研究*3で明らかになっている。東京において公道上を私的使用する露店に絞って言えば、戦後復興期というよりも、昭和6年に都が失業対策の一環として露店の保護奨励を計ったことに遡れるし、もしくは縁日なども考えればもっと昔まで遡れるかもしれない。

もう一つ面白いのが会館と呼ばれるビルについてである。会館の多くは再開発の手法として建てられたもので「マンモス・ビル」と当時は言われていたようだ。*4川添はこの会館建築のルーツはターミナルビルだとし、小林一三の名をあげる。そして、通勤客を運ぶ一方で、ターミナルにデパートを建て、郊外に住宅地を開発するとともに劇場付の遊園地をつくった小林一三の考えは、CIAMの「アテネ憲章」よりも先賢の目を持って実現されたものであると指摘する。つまり、「住む、働く、遊ぶ」という3つの機能を、自分が経営する電鉄「交通」で結ぶと言うことだ。さらに、これによって副都心や郊外に、それぞれコアができたとすれば、「都市のコア」すら先取りしていたのではないかというのだ。面白い。また、ターミナルビル(ターミナル+デパート)が私鉄経営の原型になったこと、それが国鉄にも取り入れられ、民間資本の導入をはかって実現した民衆駅を説明している。

いずれの例にしても、こういった日本特有の都市デザインがメタボリズムの源流であるということは、かなり面白いし、僕たち都市発生学研究会にとっても極めて参考になることである。もうちょっと、川添を探ってみたい。


GURE

*1:アーケードとミラノのガレリアは異なる。ガレリアは商店街とガラス屋根が一体的に計画されているが、日本のアーケードは建物とアーケードは構造的に分離しており、商店街の建築は個々に新陳代謝を行う

*2:えーすけによれば「地下街とは道路や駅前広場などの公共用地の地下に設置された、公共地下道を中心として設けられた店舗、事務所などの施設が一体となった地下施設」。これは、おそらく都市計画法が改正された後の地下街の認識であろう。また、日本の法規には広場というものは無いので、駅前広場も実質は道路。つまりは地下街は公共の道路の下につくられたもの。

*3:「戦後東京におけるバラック飲み屋街の形成と変容 —戦災復興期、高度成長期における駅前再開発に関する考察—」(日本建築学会計画系論文 579、2004年5月)

*4:現在の再開発はマンモス・ビルどころではなく、都市を作り上げている…六本木ヒルズなど