前期打ち上げとAoi lab. field walk vol.4

2009/7/30
報告が遅くなりましたが、青井研の前期活動も終了。青井先生宅で、前期締めの飲み会を開いていただき、奥さんのめっちゃおいしい手料理をごちそうになった。
後半、建築用語しりとりで盛り上がり(?)『ず』が強敵と気づく。『ず』からはじまる語が、4回くらい出るともうなかなかでてこない。みなさんもやってみてください。

後期は、さらにさらにさらに熱いブログ、青井家飲みを超えるイベントをめざし、まさき・ぐれ・キムタク(ブログ・イベント・パラダイス係)突き進みます!!!

今日から、僕は研究室の台湾調査で3週間ほど更新できないかもしれないが、まさきとキムタクが熱く更新してくれるはず(笑)夏休みもAoi lab.ブログをよろしくお願いします。



2009/8/5
Aoi lab. field walk vol.4として、学校のすぐそばにある山田守設計の長沢浄水場を見学に行った。

この浄水場は、戦後の東京の慢性的な水不足解消のため、川崎市につくられた東京都の浄水場である。案内していただいた係長さんのお話では、当時(1956年着工)の最先端の設備を海外から導入し、行政としてもかなり力の入った施設であったそうだ。
この建築はなんと言っても、マッシュルームコラムと梁の無い薄いフラットスラブが印象的だ。この二つが特徴的な立面をつくり出している。フラットスラブは本館だけでなく敷地内のトイレ、休憩所でも採用されている。

マッシュルームコラムは本館内で、階段の壁などを除いてほとんどの場所で使われていた。

ファッション誌の撮影もよく行われるというマッシュルームコラムの列柱がつづく操作廊下は、改修で天井の配線も隠され非常にきれいな空間だった。

見学に来るまで、長沢浄水場と言えばこの廊下と白いマッシュルームコラムが思い浮かんだのだが、竣工当時は型枠の跡が残る荒々しい柱だったそうだ。その柱は2本だけ当時のまま残っていた。

つまり、操作廊下のマッシュルームコラムは竣工後の改修で白く塗られたものなのだそうだ。

分離派として建築家の道を歩み始めた山田守であるが、他の分離派の建築家と同様1930年代前半には表現派からバウハウス派へと移っていく。長沢浄水場は戦後の建築であるが、マッシュルームコラムなど表現主義的な部分が見られる。その上で、本館南西立面はガラスカーテンウォールを回りこませ内部の薄いスラブ、マッシュルームコラムを外部から見せる、バウハウス的な透明性も見られる。残念ながら、現在は操作廊下でガラス越しのマッシュルームコラムの列柱が見えるが、本館では改修でカーテンウォールは変更され、内部でも腰壁がたち、山田が設計当時に見せたかっただろうカーテンウォール越しに見えるスラブと柱を今は見ることができない。見学に行く機会があれば、竣工当時の聡明なカーテンウォール、腰壁のない内部、打ち放しのままのマッシュルームコラムを想像しながら見ていただきたい。竣工当時は、今よりもめちゃめちゃかっこよかっただろうと思う。*1

堀口捨己も高く評価したという*2「長沢浄水場明治大学建築学科学生必見です。っという僕は、入学から5年目にして始めてみましたが…是非。

案内していただいた係長さん、ほんとにありがとうございました。


GURE

*1:どうやら、案内していただいた係長さんによれば、竣工当時の建物は、ウルトラマンの中でカラー動画で見られるそうだ。

*2:山田守への追悼文:東海大学新聞,1966,6,15