M2修士論文発表

10月6日(金)にM2の中間発表が行われました。以下発表です。


芦谷龍征
『成城に見る郊外住宅地形成と変容ー小原國芳の都市開発思想と街への関わりー』
明治時代により首都圏近郊の鉄道網は拡大と発展を遂げてきた。その中で成城の研究は多くあるが、開発経緯を明らかにするものだけであり、細部にまで至っていない。本研究では、成城のように個人が開発に着手した例と鉄道会社が主体となって行う開発の違いを見ていく。


(質問)
・学園都市がビジネスとしてすごく考えられていた。どこが既往研究との違いがあるのか。資料の掘り起こしをしっかりやるべき。
→既往研究との違いは、電鉄会社にたいしての利益を見ているということ。



池田薫
『砂利産業からみる多摩川流域の空間構造の変容』
多摩川流域の砂利の生産量は関東大震災前後で全国の40パーセントを占めている。大都市東京の再生を担っていたが、産業と空間の関係性については述べられていない。本研究では、上流、中流下流の採掘・発送地としての重要な地点に着目し、砂利産業が空間に与えた影響を見ていく。


(質問)
・工場まで追えるだけでも面白い。砂利の使い道についてはどうなのか。
→年代によって使い方は違う。建物のコンクリートに使われる。多摩川の砂利は骨材に適した砂利。

・どういう空間構造なのか。
→具体的に場所を見て、その場所で採取が行われて、発送するのかをこれから見ていく予定。

・砂利産業の関連施設は今後どのように変容していったのか。
→鉄道会社が作った鉄道は残りにくく、旅客と同時に行うために作られた鉄道は今でも残っていることが多い。



富山大樹
『1920-1930年代の神社の社殿建築・境内環境の変容に関する研究ー大江新太郎が手がけた多賀神社を中心に捉えてー』
明治神宮創建以降、1930年代初期にかけ、明治神宮創建に後続する神社改修プロジェクトを多数手がけた大江新太郎がいる。本研究では大江が手がけた社殿建築・境内建築の変容について、制度や体制、大江の思想を捉え、多賀神社を中心に捉えていく。

(質問)
・どのように空間を捉えていくのか。
→俗と聖の空間を捉え、植栽に関しても、俗と聖の部分での植えて良い種類が違ったように空間を構成していく要素も見ていく。




中井希衣子
『稲荷信仰と都市民衆生活空間ー台東区東部地区(浅草周辺)を対象にー』
稲荷信仰は宗教組織としての主体が存在しないアノニマス民間信仰である。個々の民衆生活に密着しているため、信仰理念が気薄である。本研究では台東区東部地区に着目し、生活空間に棲みついた稲荷信仰とその祭祀共同体組織を前近代から現代まで通史的に捉えていく。


(質問)
・領域と組織は複数のレイヤーが重なっていくということが、ダイナミックに変わっていく変容はどのように捉えているのか
→古文書で当時の領域を捉えていく。

・稲荷信仰と都市共同体とはどのように捉えていくのか。稲荷信仰とはどういうことなのか。
・第6章について。実証的に行うのなら、今の稲荷神社の所有を登記簿で調べた方が良い。



中村彩
港湾都市からみる東京埠頭論ー品川埠頭を多少としてー』
都市史分野において港安機能に着目した研究は遅れている。埠頭は陸からの物資、海からの物資を受け入れている空間である。大井埠頭渡辺大志により先行研究があるものの、品川埠頭は外貿の受け入れ先となっていることは見ていく必要があると考える。

(質問)
・大きいフレームでどのように変化したのか。コンテナではないときはどのように対処をされていたのか、この部分はコンテナが使われていた時から入ってきたのかを捉えるべき。

・大型船の運航はここでは難しいのではないか。これからこの場所はどのようになっていくのかを考えていくことが必要なのでは。




西恭平
ドイツ国会議事堂及び議事堂前広場からみる近代建築・政治思想』
1990年ベルリンの壁崩壊後東西統一されたドイツでは、近世に建てられた国会議事堂が「国民に開かれた新たなドイツ政治」を主題にノーマン・フォスターにより改修された。本研究では、近代ドイツにおいて国会議事堂と議事堂広場がどのように扱われてきたかを、議会に対する構想における政治思想、計画者個人のバックグラウンドや他作品から捉えていく。


(質問)
表現主義とは?定義をしっかりするべき。

・2、3、4章の得られた成果はどのように絡めていくのか。
→2章は国会議事堂についての構想の思想だけ、4章は個人の生い立ち、思想を捉えていく。そこに統一が見られるのか、矛盾が見られるのかを見ていく。




古谷優実
『街区型集合住宅の面的開発に託された計画理念とその変遷ー内藤亮一を中心とするテクノクラートと横浜防火帯建築群に隠された計画理念に着目してー』

戦後復興で重要となった防火建築帯の達成は多くの研究がされているが、実利的にしか語られていない。本研究ではテクノクラートに焦点を当て、彼らが防火という実利の裏で実現したかった、街区型を面的に造成することへの計画理念を、事業スキーム、テクノクラートの施策・思想、戦後復興計画の雛形の分析、戦前までにテクノクラート間で共有されていた中庭ないし街区空地の意義を見ていくことですくい取りたい。

(質問)
1920年代の街区型集合住宅の資料と、横浜の街区型の関係性は。
→横浜で街区型を取り入れるために研究されていて、1920年代の街区型集合住宅から取り入れたのではないかと推測している。

・既往研究で藤岡先生が発表しているものとの相対関係は。
→藤岡先生との後日のインタビューのときにお話しして、自分の研究の位置付けをしていこうと考えている。




以上7名が発表を終えました。専門性が高いせいか、質問があまりこないものもありました(笑)如何に自分の研究を
何も過程を知らない相手に伝えるか、それは難しいことではありますが、今後重要になってくることだと思います。
12月にはM1の中間発表もあるので、自分の研究の面白さを伝えられたらなと思います。
(そのレベルに達せられるようにテーマを明確にすることから始めます、、、)

M1 保川