ベトナム調査 中間報告

遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今現在、ベトナムにて調査を行っています。
というわけで、遅すぎますが。。。中間?報告をします!

2010,12,23〜2010,12,28 サイゴンホーチミン

チョロン(チャイナタウン)のとある街区の調査にて
フランス植民地期に、建設された町家の1つのタイプ。建物の所有は、一層と二層で分かれている。道路に面したものの場合、下は商業、上は住宅。内部は簡易的な仕切り壁によって、空間が分節されている。場合によっては、上下所有していることもある。
写真は一間ごとに三連のアーチがかかり、アプローチは一階中央部の路地から入り、階段でベランダへと上がる。ベランダは通路として使われる。しかし、現在では両端の住居は通路前を塞ぎ、個人のスペースにしている。他の場合でも、ほぼ同じ構成のものが見られたが、住宅の所有の形態が複雑で、ベランダをすべて間仕切り、アプローチとして使わず、二層目が中央階段から各室へアプローチする。全く違う空間構成の集合住宅となっているものもある。

1ブロックの実測を行いました。
二階部分の住居の内部に入らせていただき、実測しました。
空間構成は、内部に入り、二層の吹き抜けがあり、上部に神を奉る。狭い廊下と寝室があり、さらに奥に行くと外部に出てテンチン(中国語)という吹き抜けがあり、その奥が台所などの水廻りという感じだ。

2010,12,29〜2011,1,1 ホイアン
2011,1,1 ホイアン→フエ 途中下車の旅
ここは諸々の都合で割愛させていただきます。後日書きます。すみません。

2011,1,2〜2011,1,4 フエ

フエは、1802年〜1945年(1883年からフランスによる統治時代)まで阮朝の都であり、王宮などが世界遺産としてよく知られている。当時のヴォーバン式の城塞がそのまま現在まで残っている。王宮は中国の城郭の構成にならっている。初日は、この王宮周辺を調査・見学した。

2日目は、ものつくり大学の林英昭さんにお会いした。林さんは東南アジアの伝統木造建築に関して調査、研究をされており、フエのチャイナタウンを自転車で行動し、様々な廟に足を運んだ。中には海南島から、中国が明の時代に海を越えてきた人々が、その道中、海難事故に遭い、その死者を祀る廟などがあった。他にも、阮王朝に縁のあるものなど様々であった。

昼には、林さんとお別れして、家船を見にいきました。

家船は護城河の西側の一部に密集して群を成している。
家船の数は100隻(小さいボート、イカダ式住居も含む)が一部分に密集しており、船の上で生活をしている。彼らの仕事は、私たちが見る限りでは船いっぱいに砂利を積んでおり、ある一家では、庭先にコンクリートブロックを制作している様子が見えた。現地の人に聞いてみると、基本的に季節により様々なことで生計を立てているそうである。
下記参考資料よると、家船は、自らなりたい人がなるわけではなく、強固なコミュニティーがあり、分家?すると船が増えていく。基本的には、核家族。船一つにつき一世帯。川沿いに家がある場合もあるが、子供が結婚すると船に暮らす。船にはそれぞれ番号がふられており、おそらく住所ような登録の制度を持っているのかもしれない。夜にテレビを見ている家もあった。

参考資料
東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 伊藤研究室
http://itolab.org/project:hue
ヴィエトナム・フエ京城都市の変容に関する研究(10) : 家船/再定住先住居の空間利用と血縁近居の状況(海外歴史都市の変容,都市計画) 古川 尚彬、山田 大樹、佐藤 滋
CiNii 論文 -  7392 ヴィエトナム・フエ京城都市の変容に関する研究(10) : 家船/再定住先住居の空間利用と血縁近居の状況(海外歴史都市の変容,都市計画)

3日目は、形の奇妙な聖マリア救済教会や安定宮(阮朝のフランス統治時代の建築)の見学に行った。特に教会では、少数民族のBahnar(バナ族)とGiarai(ジャライ族)の集団に遭遇した。巡礼のために、40台近いバスで移動しているようだ。民族衣装など、面白い体験ができた。
 



その後、フエからハノイへ移動しました。ハノイや書いていない所は、後日、各自報告させていただきたいと思います。

むらかみ、かわさき