屋上のゴンドラ


『少年ジャンプ』(集英社、2010年23号)の先週号に掲載されている「こち亀」で浅草の松屋(浅草駅)が紹介されていて、気になったので少し調べてみた。
松屋浅草は1931年11月、東武鉄道浅草雷門駅開業に際して、駅ビルテナントとして開店した。駅ビルの設計は難波の南海ビルなども手がけた久野節である。当時の他のデパート同様、松屋浅草にも「スポーツランド」という屋上遊園地があり、「航空艇」と呼ばれるゴンドラが建物上空を往復していたという。

屋上および七階には小動物園と並んで各種遊戯施設を集めた「スポーツランド」を開設した。浅草はそれまでおとなの歓楽地で、子供が安心して遊べる場所がないため、「スポーツランド」は好評であった。ドイツのハーゲンベック動物園、アメリカのコニーアイランドにある遊戯施設を参考にして作られた斬新な施設は子供だけでなくおとなにも喜ばれたものであった。
子供に最も喜ばれたのは一回一〇銭で二周する豆汽車であった。このほかボウリング、コニーアイランド、かわらけ割り、鬼倒し、野球遊び、射撃場、弓場、七階にあるローラースケート場(のちに豆自動車)などがあって、連日おとな、学生も交えて賑わった。
このほか、屋上の両端を往復するゴンドラがあった。これは初めは道路と隅田川を越えて対岸まで往復する構想であったが、許可が困難で、建物の周囲を一周する計画に変更したが、建物からの支柱に問題があって取り止め、結局往復形式に落着したが、それでも運行中の雄大な眺めとスリルとは非常に人気を呼んだものである。
「何々ランド」と称するこの種施設はこのスポーツランドがわが国で最初であった。(写真(上)、引用文ともに:社史編集委員会編『松屋百年史』株式会社松屋、1969)


松屋百年史を見ていたら、なんと松屋浅草の屋上遊園地「スポーツランド」は「コニーアイランド」を参考につくられたという。それと、当初「航空艇」は隅田川の対岸までわたり往復する計画があったという。面白い。
屋上のゴンドラといえば、坂倉が携わる以前(1951〜53年)の渋谷駅にも「ひばり号」(写真(下):宮田道一・林順信『鉄道と駅 渋谷駅』大正出版株式会社、1985)というゴンドラが存在し、東横百貨店の屋上と玉電ビルの屋上を往復していた。当時、玉電ビルの屋上が解放されていなかったため、玉電ビルの屋上では止まらずに折り返し、東横百貨店の屋上に戻ってくる、全区間75メートルのルートで定員12 名であったという。
ゴンドラが存在した当時、東京の多くは木造の低層建物であったから、デパートの屋上はその高さによって極めて魅力的な場所であっただろう。それに、ゴンドラは今乗っても楽しそうだ。


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