サブゼミC班 1週目

サブゼミC班 1週目

ごめんなさい、報告遅くなりました。

6/5(水)サブゼミC班の1回目の発表内容についての報告です。

課題図書:西川祐子『近代国家と家族モデル』(2000 吉川弘文館)

発表者は、滝沢、佐藤、秋山、劉、笠巻でした。

C班は別名「家族班」とも呼ばれていて、家族に関する本を取り上げて議論を展開していくわけですが、
1週目では特に日本の近代家族に焦点を当てていくことになりました。

家族は自然的生物的集団ではなく、国家によってつくられた制度であるとしたら、
今の家族は崩壊しているのではなく、家族モデルのゆらぎ、脱制度化であると考えられないか。
多くの国家はまず家長と契約を結び、その家族を国民国家の基礎単位として統合したため、
「近代家族は近代国家の基礎単位とされる」と定義することで、いかに家族が制度として扱われてきたのかを見ていきます。

(1)「家」家族/「家庭」家族の二重制度
1871年の戸籍法、1898年の明治民法によりまず「家」制度が確立します。
「家」は戸主+家族で構成され、戸主の6親等以内の親族はみな同じ家族とみなされていました。戸主は家族に対してかなり強い権限を持ち、基本的に戸主権や財産、家業はその家の長兄が継いでいたため、家族のつながりは親子関係中心でした。
しかし、資本主義の発達に伴い、「家」の次男や三男は安い労働力として都市部に出稼ぎにいき、親への仕送りや弟妹の学費を負担していました。次男や三男はそこで妻を迎え入れ、夫婦+子の新しい家族を形成します。これが「家庭」家族であり、家族のつながりは夫婦関係中心です。「家庭」家族は「家」家族に属しながらも都市部に定着し、災害や不景気になると「家」の庇護を受けます。
このような「家」家族/「家庭」家族は1920年前後に成立します。最初は「家」家族中心だったのが、都市部に「家庭」家族が増えていくことで状況は変わっていきます。

(2)「家庭」家族/「個人」の新二重制度
実は、戦時中の家族単位はすでに「家庭」家族だったのですが、敗戦後、1947年の民法改正により「家」制度は廃止され、婚姻も戸主の同意は必要とせず、夫婦間の合意のみによってすることができるようになりました。戸籍法も一人あるいは最大二世代までを一つの戸籍単位とし、これを家族とみなすようになりました。制度だけでなく、実態としても「家」家族を吸収するような形で「家庭」家族はどんどん拡大していきます。「家」家族からの世襲財産よりも「家庭」家族の収入の方が多くなってくると、老後を迎えた親を「家庭」家族に迎え入れ保護することになります。
1955年に設立された日本住宅公団の影響などにより、生活レベルにも変化が生じてきます。食寝分離、分離就寝から始まり、2DK→3LDKへと発展し、個室もできることで家族の個人化がうながされる設計が進んでいきます。
しかし、独り暮らしや単身世帯など「家庭」の外で生活する人々も増加し、設計の変化だけでは追いつけないような家族の変化が生じます。1976年にはワンルームマンションが出現し、それ以降は四階建てのものが全国の都市に広がり、ワンルームはリビングのある家の子ども部屋が分離して別の都市へ遊離した形となりました。ワンルームマンションに住む人々は、仕送りと電話を通して「家庭」家族とつながり、1975年前後に「家庭」家族/「個人」という新たな二重制度が成立します。

今回は近代家族を中心に見ていきましたが、家族は制度としてつくられたものであるということが理解できたのと同時に、今後の家族は法、規範、生活レベルなど様々な点でどのように展開していくのか考えさせられるような回になったのではないかと思います。
課題図書では、フェミニズム論争やフランス型家族との比較などについても記されていますが、続きが気になる方は是非一度読むことをおすすめします。

B4 笠巻

サブゼミ家族班 2週目

家族班の2週目は、まず前回の西川祐子さんの『近代国家と家族モデル』で扱った、近代家族の前身となった近世の家族について勉強しました。

(『歴史における家族と共同体』 歴史科学協議会編 1992 年、「近代の家族と共同体」山中永之佑・「近世の家族と共同体」深谷克己より)
今回は江戸時代に全人口の8割を占めていた百姓に焦点を当てて話しました。
江戸時代の社会体制は、領主を頂点に、「むら」と「いえ」によって成り立っていて、「むら」は領主直結の統治のためのまとまりであり、同時に「いえ」同士が生活のために連携するまとまりでもあった。
「むら」が公と私の両サイドから必要とされ、利用されてきた時代であったと言え、公と私が混じった存在としての組織であった。

一方で、「いえ」の中身は少数単婚家族を中心に非血族、未婚、厄介の地位にある血族メンバーがまとまって共同体となっていた。
三層の玉ねぎ型であり、外側の層がいくら増えてもその構造は変わらなかった。
未婚、厄介の地位にある血族メンバーは玉ねぎの一番外側にいるのはなぜかというところまで調べられていなかったのですが、先生から新しい「いえ」をつくることが許されていなかったので次男三男はなかなか結婚することができず労働力として家主のもとについていなければならなかったというのを聞いて、衝撃を受けたとともに明治維新で家制度に大改革されても受け入れられたのは納得だなと思いました。



家族班が次に取り上げたのは山極寿一さんの『家族進化論』です。

近代国家をつくる際に利用された家族という共同体は、制度に組み込まれる以前はどのような必要性を持って成り立っていたのかを見ていこうということで、その初現であるサルの共同体にまでさかのぼって考えることにしました。
この本では、文化人類学と生物学の進化論を一体的にして、リニアに見ていくことで人類の家族の形成過程を語っています。
他の動物の集団と人類の家族が似ている、似ていないの比較的な観察ではなく、霊長類の進化の系統樹に沿って系統的に見ていくことで人類の家族が科学的に歴史の中でどのように共同体を形成したのかが明らかになっています。
ただ、比較するのは”現在”生きているテナガザルやオランウータン、ゴリラ、チンパンジーなので系統樹をさかのぼった共通祖先が持っていたであろう特徴を推測していくという形になります。

霊長類はモグラのような祖先が熱帯雨林の生活に適応していき、その原型を残しているのが原猿類、昼行性になり体が大型化して真猿類に分化し(広鼻猿類)、そこから地上へ下りたのが狭鼻猿類、その先に類人猿と分化していき、人類もその系統樹の先にいる。
霊長類の個体同士のかかわり方、社会構造は、その種の生息環境・身体的特徴・繁殖戦略などが密接に関わっていることがわかっている。


まず社会と類人猿の関係を性に注目して見ていく。
19世紀の社会学者は、動物は生理的な要請に従って性交渉するが、人間は自由な意思で恋愛をしているとして、性ホルモンの作用のしかたが人間と動物とを分けるものであると考えられていた。
しかし実験によって、霊長類も性ホルモンによって完全支配されているわけではないということがわかった。
人類を含む霊長類は性の受容性に関してホルモン支配から脱却して自由な交尾が可能となり繁殖戦略を発達させてきたことがわかる。

また、オスとメスが持つ異なる身体的特徴(性的二型)は社会構造と相関しているということが分かっていたが、類人猿にはその一般側に当てはまらないということが体格差と行動からわかった。
 ex)メスをめぐるオス同士の競合が強い種は性的二型が大きく、複数のオスとメスが乱交関係にある種は性的二型が小さい。しかしオランウータンは単独生活をしているのに性差は大きいなど。
したがって、類人猿と人類の社会構造は性的二型ではなく繁殖戦略が社会構造と強く結びついていると考えられる。

人類の繁殖戦略と社会構造を分析すると、社会や文化によってペアの永続的な結合を強めるような方向にも、乱交を許容して精子競争を高めるような方向にも変異の幅を持っているということが明らかになった。
またそれは人類が森林からサバンナに進出する際に、食料を広範囲から確保するための小集団(家族)の必要性と、サバンナの猛獣から身を守るためにある程度の大きさを持った集団になる必要性という複数の家族を内包した共同体を築いていたということに起因している。

それと同時に、インセストタブー(近親相姦の回避)が起こってくる。種の保存という生物の究極的な目標とは一見かけ離れているように見えるので社会的な要因によって起こってくるものと考えられる。
人類以前の類人猿もインセストの回避の徴候は見られた。しかし、人類のペアとその上位集団の対立関係を内包するという特殊な共同体を保つためにインセストは規範としてタブーになったのではないかと考えられる。
サブゼミの議論の中で先生の指摘によって、インセストタブーはゆらぎのある集団を固定するための制度であり、初期の人類も制度よって人類の家族が成立したといえるのではないかという新たな視点が見つかりました。現在においても過去においても、ある制度をつくることで人類は目的を達成するための家族を形成してきたということで、話がとてもクリアになりました。


一方で、生活史(種のライフサイクル)の戦略を考えてみる。
霊長類は、他の動物よりもゆっくりとした生活史戦略をとっていて、子供を産み育てる間隔も長く寿命も長い。
類人猿の繁殖のゆっくりさは子育ての安全さという環境的な要因と、個体や群れの間の社会的な要因によって左右され、類人猿の独特の社会構造は生活史とどのように対応しているのか探っていく。

その一つの例として子殺しがある。
マウンテンゴリラやチンパンジーには、血縁関係にない子供を襲い殺害するという行動が見られる。
これは、ゴリラのオスが自分の子孫を残すための繁殖戦略であるが、それによってメスは子供の安全のために群れを移籍する際は子供を置いていったり、オスが2頭以上いる群れを選んで移籍するようになった。
このことから子殺しによって群れの形態が成立していたと言える。

類人猿で子殺しが起きる種と起きない種がいるのは、父性を保証するかしないかのちがいである。
父性を保証する場合、男同士が女をめぐって激しく競合し父親が誰であるか明確にさせる。
父性を否定する場合、妊娠期間でなくてもオスの要求に応じて交尾をして乱交して父親をあいまいにする。

このことから、人間は男が競合する社会であり父性を保証し子殺しが起きやすい社会であるといえるかもしれない。
しかし一方で、人間の女性は発情徴候が欠落していてはイランに限定されない性交をすることができるので、乱交で父性をあいまいにするような子殺しを防ぐ社会であるともいえる。
先にあげたインセストタブーと連携して、人類は夫婦に性を限定し、家族内のほかの関係には性を禁じることによって、複数の男の共存を許容して子殺しを防ぐ社会構造をつくっているともいえるのではないだろうか。
これも重層した共同体をつくるための工夫なのかもしれない。

人類の祖先は共同体を築く際に必要な、共感力と協力関係を強化させるために音楽というコミュニケーションツールを発達させた。
直立二足歩行になると腕や腰が自由になるので体でリズムをとることが可能になり、発声も様々な音を出せるようになった。

音楽によって高い共感能力を手に入たうえで、何らかの実態を指し示す言葉が登場した。
なかでもホモ・サピエンスが独自に発達させ、生き残る原因とも考えられるのが比喩能力である。
比喩能力によって、博物的知能・技術的知能・社会的知能の異なる知能を連結し相互に応用させることができるようになって新しい概念や技術を生み出せるようになった。
ライオンという実態の動物とは何の関係のない音を、その動物とを相互にバンと焼き付ける能力がすでに比喩である。

比喩能力によって複雑な社会、より上位の組織を作り上げてより多くの人を組織化することができるようになった。
首長社会、さらには先週取り上げた国家もその最上位に来る物のひとつである。

この本の終わりには多産のために組織された家族という共同体は、多産体制が終わった現在では家族を維持していくのは難しくなってきているが、家族の崩壊は起きてはならないという立場をとり、崩れ落ちたときにもはや人間ではなくなっているかもしれないと言っている。

家族の情緒的な問題は置いておくとして、人間ではなくなるというのはこれまでの流れから説明することができて、社会構造が変化し制度ができたときこそ系統樹の枝分かれが起きたところであるということができるので、人間が別の社会構造を持った動物として違うフェーズ(進化とは違う気がする)に移行してしまうということを示唆しているように思いました。



今年のサブゼミは、A班:論理のシステム、B班:人体の免疫の細胞レベルでのシステム、C班:人間の共同体のシステム、そして次回はD班:人間が比喩能力によって作り出した貨幣経済によって引き起こされる都市のシステムと、どんどん大きな話になっていて、まさにベイトソンの世界をひとつにする話とつながっていると感動しつつ、これもホモ・サピエンスが身につけた特殊な比喩能力のせいなんだなあと不思議な気持ちになっています。

話を広げすぎましたが、次回は家族って何?を現在形もっとで具体レベルで議論できるように用意していきたいと思います。
長くなりすぎましたが、、2週目、楽しかったです。
3週目も楽しんで盛り上げたいと思います。


M1 さとうあやな