最近の研究室での話題について。黒沢隆『個室群住居』。

最近、研究室でもっとも話題にあがる話のひとつは、黒沢隆の「個室群住居」についてである。そもそもは、3週間前すがっちがゼミ発表で家具についての黒沢隆の記事を紹介し、先生がそれを補足し『個室群住居』(住まいの図書館出版局、1997)の話をしたことがきっかけで、研究室内でよく話題に出るようになった。

僕は恥ずかしながら読んだことがなかったが、最近やたらと話題にでるので気になってしょうがなくなり、日曜日に『都市住宅』に掲載されたいくつかの論文(「個室群住居とは何か」/『都市住宅』1968年5月号など)をコピーして読んだ。そして、考えたことを報告しようと思う。

「個室群住居」とは端的にいえば、家族をシンボライズする居間を欠落させ、個室の集合でもって住居をつくろうという考えである。寝室の集合ではない。
当時の社会の趨勢が続くことを想定し、突き詰めて考えれば近代住居の成立する基盤であった家族像は崩壊し、個人の集合でできる「個室群住居」こそが近代住居に代わって現れる新しい住居形式であるというものだ。近代住居の特質の一つは「単婚家族」であり、もう一つは「私生活のための場」である。そして、そこには夫婦二人が一体になり一つの家庭、もしくは人格をつくるという家族像がある。
黒沢隆が「個室群住居」を考えた1960年代後半は、この近代住居における家族像が少しずつ壊れ始めた時期であった。その原因の一つは、女性の社会進出である。それまで、夫のみが働き妻は家庭をささえ二人が一体になって一つの人格をつくってきたが、妻は社会進出により夫とは違った人格を築くようになる。家庭に二つの人格が存在するようになったのだ。もう一つの原因は、第三次産業が産業構造の中で占める比率の増加である。つまり、労働が時間で労力を売るものではなくなったということだ。第三次産業の生産とは、思考を形にすることである。そして、思考は職場にいる時間だけでなく、家に帰ってからも続く。思考が、仕事が「私生活の場」であった家庭に持ち込まれるようになったのだ。「個室群住居」とは、そういった社会の中では、夫婦でさえも別々の個室を持ち、その中で眠り、仕事をし、会いたければどちらかの個室を訪れるという家族像を実現する住居形式であった。

黒沢隆の社会学的な分析と、その先にある個人の集合による家族像を形式化した視点は極めて鋭く、そして早い。
どれだけ早いかというと、こういった家族像が現実に社会の中で現れ、それに対応するような建築家の実作が現れるのは、約30年後の1990年代になってからのように思うからだ。

1990年代に竣工した住宅で、家族の人間それぞれが別々の社会と関わる個人として考えられている例をいくつかあげてみる。

《岡山の住宅/山本理顕/1992》夫婦と子供1人が住むこの住宅は、高さ6mの金属製の板に囲まれており玄関をくぐると、正面には家族それぞれに対応した3つの個室が並ぶ。住宅内部(内部と言っても外部空間であるが)に入るには、この個室を抜けるか、回り込んで中庭に行くしかない。プランから考えれば、この住宅が社会と関わっているのはそれぞれに個室を介してと読める。個人がそれぞれ個室を持ち、社会とつながりながら、内部では閉鎖的な家族の空間をつくっている。有名な「ひょうたん」の図式を建築化した住宅である。これを、住居の集合として都市的に扱ったのが《熊本県営保田窪第一団地/1991》である。

《NEXT21 303「自立家族の家」/シーラカンスK&H/1993》NEXT21の一室としてつくられたこの住戸は、夫婦と子供二人の4人家族が住む。リビング・ダイニング・キッチンに面して同じ大きさの4つの個室が並び、リビングと反対側では縁側を介して立体街路と接続している。303住戸が接する面で一番パブリックな面は立体街路側であり、各個室からは立体街路への出入りが可能である。そして、個室どおしのを隔てる境界は収納だけでなく、トイレになっていることなどからも、それぞれの個室の充実と住戸の中での独立性が感じられる。

岐阜県営住宅ハイタウン北方南ブロック妹島棟/妹島和世/1998[1期]、2000[2期]》この集合住宅は全て、2.8mスパンで並ぶ壁よってできる個室を基準としてできている。個室は南側では住戸内部の広縁と接して他の個室、水回りへと接続する。北側の共用廊下側には内側だけ取っ手の付いたドアがあり、直接外部に出ることができる。住戸における個室の存在感の大きさと、家族を介さなくても外部と接続できる個室の独立性がある住宅だといえる。外部からはどこからどこまでが、一つの住戸であるかはわからない。磯崎新は妹島棟を町家で採用されていた通り庭型、同時に建設された高橋棟を農家に展開されていた田の字型プランであり、ともにnLDKという近代的住居増が日本に出現する以前の2つの典型的な住居型に基づいているといっている。つまり、住宅が「私生活のためだけの場」となる以前の、生産が住宅内部にも入り込んでいた時代の住居形式である。

《NT/渡辺真理+木下庸子/1999》ともに忙しい夫婦と子供二人の住む住宅である。生活時間のずれと、互いがそれぞれ社会とつながった個人であることから4つの個室を持ちながらも、家族のつながりを強くしようという意思を感じる住居。2階の4つ並んだ個室に面してライブラリーがあり、本棚が一階まで続くのだが、本棚の横に取り付いた梯子を下りていくと一階には4つ椅子を並べた机がある。家族はそれぞれ外の組織に属しており、そこから持ち帰ったホームワークはみんなこの机向かって行うのだ。個人の集合としての住居でありながら、知的生産を家庭でも行う生活様式を逆手に取って家族のつながりを求めていると読める。

以上のように90年代になると、実際に社会からの要求として個人、個室を尊重した建築家の作品にあらわれてくるのだが、こういった家族像を30年も前に考えだした黒沢隆は非常に鋭いと思う。

では、もう一度黒沢隆に戻ってみる。
《住宅館キュービクル/黒沢隆/1969-75》《わたしの個室・ヒロコの個室/黒沢隆/1971》《六本木の単身ユニット/黒沢隆/1976》《ホシカワ・キュービクルズ/黒沢隆/1977》とつづく個室群住居シリーズの個室の基本サイズは、道路を運べる大きさや生産過程の合理性などの検討により2.4m×2.4m×8.1mになっている。これは本当に、ワンルームマンションの一室を取り出して、それぞれの場所に置いたと言ってもよい。「個室群住居」とは概念であり、その最も身近な例はワンルームマンションを一人で一室づつ借りて暮らしている夫婦の生活だと黒沢は言う。そして、その個室はコミュニティーとの対比の上で存在すると。《わたしの個室・ヒロコの個室》で言えば、両親の家庭という私的なコミュニティーにそれぞれの個室が直接開き接続する。《ホシカワ・キュービクルズ》であれば、直接その地域のコミュニティーに接続すると。
このシリーズを一通り見ると、その激しさは実感するし、黒沢隆の社会分析の鋭さ、先見性は非常に感じるのだが、不満も感じてしまった。一つには、個室がキューブでありかつ、単体で完結してしまうが故に、その集合形態は生き生きしたものにはなり得ないだろうということ。しかし、これはコンセプトからしたらしょうがないが…。もう一つは、個室はコミュニティーとの対比の上で存在し、そのコミュニティーに開かれると主張するが、個室をこんなにも唐突に置いたようなものが本当に開いている空間と言えるだろうかということだ。
これらの不満は、「個室群住居」が概念でしかないことが原因で起きているように思う。個人が個室を持ち、住居において個室が直接コミュニティーにつながるという考えを、実体をもった建築としてはうまく表現できていないのではないかとおもう。前期サブゼミで読んだ「都市デザインの方法」で、磯崎新が何度も繰り返すように、概念を実体にするには媒体を持つか、そもそも実体を持った概念を考えなければならない。それがうまくいっていないと思う。もちろん、黒沢隆の視点は極めて鋭いことは認めながらも。
そう考えていると、コミュニティーに対する「個室」あるいは「個人」を建築として最も鮮やかに示せたのは、山本理顕だと思えてしまう。さっきはあっさり通り過ぎたが、山本理顕はコミュニティーに対する「個室」を実体を持て語った最初の建築家である。それは、先ほど例にあげた「ひょうたん」のダイアグラムである。もちろん、山本理顕の考えは大学の先輩である黒沢隆の影響を大きく受けて誕生したものであろうが、大学院1年でそれを考え『都市住宅』で発表したことは、今回黒沢隆を知って改めてすごいと思ってしまった。黒沢隆は建築家としての作品ではなく、発想は大きな影響を残していると思う。

最後は黒沢隆ではなく、山本理顕の話になってしまったが、以上が「個室群住居」に関する論文と作品を読んだ感想である。


GURE